ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

いのはなトンネル

いのはなトンネル  はJR高尾駅から西に位置する中央本線のトンネルです。

 

 

 

知らない方も多いと思いますが、このトンネルで起きた凄惨な事件を是非 多くの方に知って頂きたく掲載します。

 

 

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八王子城主郭南西部の回で使った紹介地図にもさりげなく位置を入れてます。

 

 

いのはなトンネルは、終戦間近の昭和20年8月5日

 「いのはなトンネル列車銃撃事件」が起きた場所です。

ja.wikipedia.org

 

 

 グーグル先生のマップは慰霊碑を指してます。

 

 

 小仏関の見学を終え、そのまま甲州街道を西へ進み蛇滝口バス停付近にあるのが

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いのはなトンネル列車銃撃慰霊碑→ の石碑

 

 

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石碑→を拡大します。 

脇には事件の解説板も設置されてます。

 

 

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解説板を拡大して載せますが、全文を転記します。

 

 

湯の花トンネル列車銃撃空襲

 供養塔・慰霊の碑のご案内

 

  太平洋戦争末期の1945(昭和20)年8月5日、この地で米戦闘機群による我が国で最大規模の旅客列車銃撃空襲が起きました。

 8月2日の八王子市空襲で中央本線が不通になった後、3日ぶりに新宿発長野行き419列車が浅川駅(現高尾駅)を出発し湯の花(猪の花)トンネルにさしかかった時、硫黄島から飛来したP51ムスタングの銃撃を受けました。

 この銃撃により警視庁の調べで52名が死亡し(実際は60名以上)、133名が重軽傷を負いました。

 

 5周忌を前にした1950(昭和25)年、地元浅川町青年団上長房分団が供養塔を建立しました。

 本会(1984年結成)では、1994(平成4)年に慰霊の碑を、2017(平成29)年7月には供養塔・慰霊の碑入口を示す石碑をここに建てました。

 

 本会では、再びこのような悲惨な空襲が起こることのないよう、平和を願い、戦争の惨禍を語り伝えていきたいと思います。

 中央本線の線路のこちら側にある供養塔・慰霊の碑まで、この道をお進みください。

 そして、心して犠牲になった方々のご冥福をお祈りくださいますようお願い申しお上げます。

 

 2018(平成30)年8月

いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会

 

 

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慰霊碑に向かいます。

 

 

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こちらが慰霊碑。

慰霊碑背後には、亡くなられた方の氏名と当時の年齢が刻まれています。

 5歳児の犠牲者を含む様々な年齢層の方が亡くなられてます。 

 パイロットは硫黄島に帰還してから何と報告したのか?

 

 

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近くの踏切からトンネルを見ることにします。

 

 

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上り下り線の間隔が広い。

 

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 下り線のトンネルを撮影した所で踏切が鳴り出したので一旦反対側に抜けます。

 

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列車の通過まで待ちます。

 ローカル線ではないので列車の本数は多い。

 

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こちらが上り線のトンネル。

レンガ造りで、事件のあったトンネルはこちらでしょう。

 トンネルは意外なほど短く、ここに逃げ込んで空襲をやり過ごすには頼りなさを感じます。

 

 

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 引きのアングルで撮影。

トンネルの上は圏央道

 

 

  短いトンネルで、乗車中に意識しなければ気付かずに通過する事でしょう。

 中央本線でこの辺りを利用する際は、事件の事を少しでも思って頂ければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下は 珍しく毒を吐き出したコーナー。

 読み飛ばして頂いても結構です。

 

 

 

 いのはなトンネル列車銃撃事件

 痛ましい事件ですが戦争の悲劇と十把一絡げに済ませていい物なのか?

と  個人的には感じる所があります。

 

 

 戦争の悲劇ならば、硫黄島のように日米両軍の部隊が激突し双方に甚大な被害が生じた戦いが具体例となるでしょう。

 しかも硫黄島の島民は事前に疎開済み。

 

 

 では、いのはなトンネルで起きた事件はどうなのか? 

 

 

 

 P51が銃撃を加えたのは軍の装甲列車ではなく、民間人が乗る客車で当然反撃もあり得ない。

 硫黄島の戦いのような軍人同士の戦闘ではなく、反撃がない事を承知の上で行われた軍人による一方的な民間人の殺害です。

 

 通常、民間人を故意に殺傷する行為は戦争犯罪とされます。

 

 

ja.wikipedia.org

私もさほど戦時条約に関しては詳しくないのでリンクを貼っておきますがごく簡単に言うなら

 

戦争にはルールがある。  という事。

 

敵国人なら誰でも撃っていい という事ではなく

また誰でも参加していい という事でもない

 

 民間人への被害を抑える騎士道精神のような物ですが、実際の2次大戦では連合国・枢軸国共に守れていたとは言い難いのは周知のとおり。

 

 この辺りの説明は山本七平氏の戦争3部作に詳細に載ってましたが、遥か昔に読んだままなのでかなり忘れてしまってます、全体内容に誤っていたらごめんなさいですが。 

 

以下はウィキのコピペですが、戦闘への参加条件としては

 

  1. 部下の責任を負う指揮官が存在すること。
  2. 遠方から識別可能な固著の徽章を着用していること
  3. 公然と兵器を携帯していること。
  4. その動作において、戦争法規を遵守していること。

 

 かみ砕くと、軍の指揮下に置かれた状態で、階級章付きの軍服を着用し、武器を携帯している状態。

 

 これが戦闘に参加する者の見た目の条件になります

 

 

 さて、銃撃を受けた民間人がこの条件に合致するのか? 

勿論ひとつも合致しません。

 

 

リンクを張ったウィキのハーグ陸戦条約の

第二款  第一章 害的手段・攻囲・砲撃 の 第23条に 

 敵の国民への殺傷を禁止する項目があります。

 

 

 いのはなトンネルで車両へ銃撃を加えたパイロットの行為は、意図的に民間人へ銃撃を加えた戦争犯罪としての容疑は明白でしょう。

 

 

 悲劇に違いありませんが、これは戦争ではなく犯罪。 

 

 

 もし米軍関係者にお知り合いがいたら、この事件を伏せてこう訊いてみたらどうでしょう。

 

 「上空から機銃掃射で民間人を多数殺害したと戦闘報告したら どうなるか?」

 と  

 

 

さて 最後に

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この2枚の画像には共通点があります。


何だと思われますか?

重爆と拳銃、一見無関係に見えますが

 

 

両方とも 通称が 

「ピース メーカー」と呼ばれる兵器なんです。

武器に 何の冗談かと思われそうですが

 

平和は武力でメイクするものだ と

 その思考が端的に現れているのネーミングです。

平和は祈ればやってくる とは対極的な考え方ですが、歴史的にはメイクする方が標準的でしょう。