松代大本営地下壕
訪問 2015年 5月
更新の大変おそ~い拙ブログ、11月に至りようやく今年ゴールデンウィークのネタに突入です。
今回は長野市の旧松代に行った模様を掲載します。
松代大本営跡は、太平洋戦争末期に本土決戦に備えて建設が進められた巨大な地下構造物になります。
ついでにその周辺の紹介もまぜつつ話を進めます。
松代象山地下壕内部
松代の大本営・・って世間の認知度ってどれ程のものなんでしょうかね?
低いと仮定して現地の案内板を掲載しますね。
松代象山地下壕海岸から遠いというのは、太平洋からが適切でしょう。
松代大本営地下壕は、舞鶴山(現気象庁松代地震観測所)を中心として、皆神山、象山に碁盤の目のように堀抜かれ、その延長は約10キロm余りに及んでいます。
ここは地質学的にも堅い岩盤地帯であるばかりでなく、海岸線からも遠く、川中島合戦の古戦場として知られている要害の地です。
第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ9カ月の間に建設されたもので、突貫工事をもって全工程の約8割が完成しました。
この建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、また労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています。
なお、この事については、当時の関係資料が残されていない事もあり、必ずしも全てが強制的ではなかったなど、様々な見解があります。
松代象山地下壕は、平和な世界を後世に語り継ぐ上での貴重な戦争遺跡として、多くの方々にこの存在を知って頂く為、平成元年から一部を公開しています。
松代象山地下壕の現況
総延長 5853,6m (うち138,7mは信州大学宇宙線地下観測室となっている)
概算堀削工量 596,355立法m
床面積 23,404平方m
それと・・不確かな強制労働話が抽入されているのも疑問を感じましたが 説明板では「様々な見解がある」として明言を濁してますね。
場所は この辺りです。
駐車場はありませんので、観光客向けの駐車場に停めるなどして徒歩で移動です。
場所は松代城等に観光パンフがありますので それを参考にして下さい。
そう言いながらも、実は停める場所が判らずに象山神社に車を停めさせて頂きました。
勿論お参りもしましたよ。
象山神社内にある 無事カエル大明神
さい銭を投げ込もうとしましたが ノーコン振りを炸裂させて池に落してしまいましたが・・
躍動感溢れる象山公の像もあります。
まぁ色々脱線しましたが 更に脱線します。
何となく城下町を散策するような気持ちのいい路地を進みます。
残念ながら母屋は失われていますが、庭園と書院は残されています。
トイレも完備されているのも好評価かと。
門の兆番のアップです。 完全に趣味の世界ですが悪しからず。
季節柄 鯉のぼりも 吊るされて?? います。 無風だと絵的にちょっとあれですね。
書院に入りますと まず甲冑が目に入ります。
「初代藩主・真田信之着用 萌黄絲毛引威 二枚胴具足」 と解説されています、信之公の甲冑ってかなり貴重じゃないですかね。
書院内部の様子。
丸窓から見える山の緑が大変おしゃれ。
歪んだ表面のガラスが歴史を感じます。 万が一でも割ったら交換できないでしょうね。
脱線ばかりですが、いよいよ地下壕です。
先の小さな橋を渡った先になります。
入口はこちら 受付にあるヘルメットを被って入ります。
入口にある解説板。 英語・日本語・ハングルの表記あり。
内容に関してはコメントしません。 興味のある方は拡大して御覧下さい。
300人~1000人の犠牲者が出たという説を出しながらも確定しているのは4人のみ・・という 政治色が濃い内容の解説板。
内部構造です。
入口は小さいですが 内部は大変広大。
ただし 公開されている範囲はごくわずか
前置きばかりでしたが 内部に入ります。
落石防止の為 天井等に補強がされています。
案内にあった 岩につき刺さったままの削岩機ロッドです。
発破用のダイナマイトを岩に差し込む穴を空ける作業らしいです。
公開範囲は極一部の筈ですが、それでも遥か先までトンネルが続いています。
こういった写真の展示も内部でされています。
トロッコの枕木の跡だそうです。 非公開範囲なのでフェンス越しです。
奥までは照明の光も届いていません。
奥の方では蝙蝠が舞っていました。
照明の当たっていない横坑道をフェンス越しに撮影。
足元に転がる岩からして崩落が徐々に進んでいるように思えます。
壕の東西南北の基準を出した測点跡があります。
公開範囲はここまでになります。
公開範囲だけでもかなりの規模でした。
大本営は本気でここに籠って最後の一戦交えるつもりだったのか、ここが役立つ事態になっていたら日本の歴史は今とは相当違ったものになっていたでしょうね。