田中城
訪問 2014年 5月
さて通常運転のお城紹介に戻ります。
田中城 3の堀跡
低地に築かれた典型的な平城の一つである田中城の最大の特徴は円廓式とも呼ばれる本廓から円状に広がる廓になります。
遺構は宅地化によってかなり破壊されているのが残念でしたが、道路が旧遺構をなぞっている為地形から特徴的な円廓式の名残をはっきりと確認出来ました。
これが現在の田中城の案内図です。 本廓付近は小学・中学校があり原型を留めてはいません。
車は図右の「史跡田中城下屋敷」付属駐車場に停めさせて貰いました。
その駐車場の画像です。
駐車場にあった江戸期の田中城縄張り図。
方形の本廓を守るように4重の水堀が巡らしてあります。
城の築城時期に関しては不明らしいのですが、今川氏時代、武田氏時代(丸馬出しの増設)、徳川氏時代を経て 江戸初期に坂井忠利によって外郭の水堀が築かれ今の形となったようです。
下屋敷史跡の様子。 スイマセン今回は外から軽く撮影程度です。
案内図に土塁と書かれている土塁跡。 手前の畑は水堀跡かと・・住宅地の中に土塁が断片的に残されています。
土塁は途切れましたが 道を進みます。
道が縄張りをなぞってカーブを描いています。
大手一之門跡 遺構らきものは特に何もなし
3の堀の土塁は 他に少し保存整備された場所もありました。
住宅が立ち並ぶので大きさのイメージは逆に付きやすいかと・・・
県道沿いに残された2之堀跡。今も残る貴重な遺構です。水深はせいぜい膝位でしょうか。
田中城本廓跡に建つ小学校。 道路からも見える所に田中城の立体模型がありましたが・・カメラ持ってウロウロしながら学校内部を撮影というのは個人的にハードルが高すぎましたので、画像なしです。
三日月堀の跡。 丸馬出し内部が個人宅になっており敷地に沿って孤の字形に堀の痕跡が確認出来ます。
場所は小学校の東側、県道藤枝大富線沿い。
木戸跡
もう標柱しかありません、 痕跡探しですね。
田中城 3之堀跡。
僅かな範囲ではありますが 整備復元されて当時の様子が再現されています。
土塁には対岸の中学校からしか行けないようでした。
3之堀の向かいには武家屋敷の石垣も残されています。
石垣の上は当時も生垣だったんでしょうかね。
開発から逃れた3廓土塁。 小学校から県道を西に進む所にあります。
田中城の評価は 3 とさせて下さい。
本廓を中心に4重の堀を構えた縄張りが特異な田中城ですが、平地の城郭の宿命で、開発が進み遺構は断片的にしか残されていません。
それでも残された遺構は丁寧な説明図付きで復元整備されており好感が持てました。