城ネタでは 3カ月ぶりの御無沙汰になります。 前回の小田野城は春先の訪城でしたから随分経ってしまいました。
今回は茨城県の守谷城になります。 城巡りの最中に立ち寄られればいいのですが、 実際は 仕事絡みで茨城方面へ行く際に無理やり遠回りして訪城しました。
更新頻度は上げられませんが、 まぁ 何とか更新は続けたいと思います。
守谷城址公園の池越しに撮影した守谷城 の遠景(逆光ですが・・・)
往時も 3方をこの様な湿地帯に囲まれていたのでしょうね。
上の Yahoo地図で解る様に、 低湿地に突き出した舌状台地を上手く利用して守谷城は築かれてます。
関東平野では典型的なパターンと言える造りかも知れませんね。
駐車場から城址公園を撮影。
右手が城址・ 中央が水堀(湿地帯)後を利用した芝生広場。 左手の住宅地が 守谷城の旧外郭に当たるそうです。
自然地形を利用した堀跡でしょうが、とんでもなく大規模。
公園化されたのは主に堀底部分で、 城郭遺構はほぼそのままの状態で残されているようでした。
撮影ポイントは この現在位置の所です。 現地 縄張りイメージ図です。
そして 「現在位置」 にある
「土塁モニュメント」
土塁面の輪切りが展示してあります。
結構 土砂でうまってますね。
現地案内板によると この 「守谷城」 は千葉氏の分家の相馬氏の居城として築かれたそうです。
「関八州古戦録」 に1537年、 守谷城を拠点として相馬氏の記述があり、 現守谷城の前身としての城郭はこの頃 築かれたと考えられるそうです。
こんもりした 森を少し進むと 守谷城址公園入り口に至ります。
お出迎えはこの見事な 空堀でした。
ここは 縄張り図 の 平台と御馬家台を分ける空堀になります。
ただ9月下旬でも堀底は藪蚊の大軍で早々に撤退。
引き返して 平台と呼ばれる 廓に向かいます。
坂道を登ると 廓周囲を巡る土塁が途切れ 虎口が見えました。
ただの 坂虎口かと思えば
枡形を形成していたようです。
虎口から左手を撮影。
土塁が先で折れてるのが・・・辛うじて解るかと思います。
廓内部は広々した空間が広がってます。 綺麗に草も刈りこんであり整備の良さがうかがえます。
廓をグルリと取り巻く土塁は2メートル強程の高さがあり必見です。 草が多い時期なので写りは悪いですが・・・
奥に進むと 土橋が現れます。 平台の先端部にあたります。
土橋の中ほどから 堀底を撮影。
この辺りの 空堀の圧倒的規模が守谷城の見所の一つだと思うのですが・・・ どうも画像だとピンときませんが、相当な物です。
土橋の先にある 小廓を過ぎると、 堀底道に辿りつきます。 法面がV字になってますね。
ここは道としても現役のようです。
堀底から向かいの廓に伸びる登り道がありました。
真夏では草ぼうぼうで登れなかったかも・・・
登りきると、 小廓の平場がありました。 強風でも吹くんでしょうか、 何故か松の木が横に伸びて成長してます。
その先の 妙見廓との堀切りは
道路に転用されてるようです。
この辺りは私有地になります。
守谷城を守る北側の
水堀(湿地帯)は公園整備されてますが 南側はこの様に
つる草が伸び放題。
耕作放棄地なんでしょうか、
グーグルマップだと田んぼになってます。
元の湿地帯に戻りつつあるようです。
城址公園の城郭部から水堀を挟んだ北端部駐車場脇にある 土塁らしき遺構の画像をおまけで。
それらしい人為的な加工が施されてそうなんですが 確証がありません。
この他に 守谷小の入り口近くに碑がありましたが、時間の関係で今回は見てません。
短時間ですが 久々に城郭遺構を散策できました。 もう少し時間があれば 牛久城にも足を延ばしたかったのですが・・・