辛垣城・桝形山城
訪問 2023年12月・2024年1月
駐車場 無し
案内板 有り
「辛垣の戦い」などと呼ばれる後北条氏と国人領主三田氏との戦いの舞台となった「辛垣城」と付属?の「桝形山城」の紹介です。
多くの中世城郭が地元の伝承や文献資料にも残されず現代に名前すら伝わらない中、辛垣城は後北条氏が珍しく三田氏を滅ぼすまで攻撃を加えたエピソードが残された城郭でもあります。
そんな歴史的にも興味を惹かれる城郭遺構、青梅の山間部に立地するとは言え、都内なのでもっと早く行くべきではあったのですが・・・主郭部が後世の石灰岩の採掘で破壊されている事もあってついつい足が遠のいていた城郭でした。

辛垣城主郭部の採掘跡
今回の趣旨は、中世城郭と近代遺産を一緒に見学する事にあります。
では
現地案内板の内容を掲載します
辛垣城跡(からかい城跡)
ここ辛垣山(標高450m)の山頂には、青梅地方の中世の豪族三田氏が立て籠った天険の要害である辛垣城があり、市内東青梅6丁目(旧師岡)の勝沼城に対して「西城」と呼ばれた。
永禄6年(1563)八王子の滝山城主北条氏照の軍勢に攻められ落城、城主三田綱秀は岩槻城(埼玉県※岩槻市)に落ち延びたが、同年10月その地で自害し、三田一族は滅亡した。
城跡に当たる山頂の平坦部は、大正末期まで行われた石灰石の採掘によって崩れ、当時の遺構は、はっきりしないが、堀切や竪堀りを留めている現状である。
※現 さいたま市岩槻区
関連する勝沼城はブログ初期に訪問しているので興味のある方はこちらからどうぞ
こちらも同じ三田氏の城です。
現地案内板の補足です。
勝沼城の紹介記事でも辛垣城とその周辺で発生した「辛垣の戦い」について少し触れてますが、この戦いの原因は1561年に発生した越後上杉謙信の小田原城包囲戦。
その際に三田氏を含む多くの国人領主はそれまでの北条方から上杉に寝返り小田原城包囲に参加。
ただ、上杉謙信の撤兵後は元の北条方に戻る・・という生き残り戦略を立てるのですが、この三田綱秀はなぜか北条氏との敵対関係を維持、と言いますか結果的には徹底抗戦して滅んでいます。
両氏の確執につていて今日では憶測でしか話せない謎の一つかと思いますが、辛垣城関連ではもう一つの謎があります。
それは辛垣山山頂に築かれた「辛垣城」から南東側の支尾根沿いに築かれた
「桝形山城」の存在。
現地案内板では一切の記述を避けてますが、こちらは城の歴史がはっきりせずそもそも「辛垣城」の防衛を担っていたのか、逆に北条氏が攻撃の足掛かりとして築いた城なのか・・それとも全く別の役割を持って築かれたのか? はっきりしていません。
場所はグーグル先生にお任せ
今回からマップサイズを大きくしてみました。
都内と言いながらも、ここまで来れば山間部。普通に熊も出ますし。
これを踏まえて
今回のルート案内です(2023年12月初回分)


無駄に大回りしてるので直接「辛垣城」を目指す人向けではありません。
実は、最近になって山登りも楽しい事に気づいた(遅い!)ので 軍畑駅から雷電山を経由する縦走ルートで辛垣城を目指してます。
そして、下りで尾根沿いの「桝形山城」を縦走して二俣尾駅を目指すつもりがルートを間違えて谷筋から降りてしまい枡形山城は華麗にスルーしてます・・
そこで2回目(2024年1月)のリベンジルート


前回の下山ルートからスタートし途中分岐し「桝形山城」の尾根筋へ移動。
そこから「物見山」の小ピークを経由して「辛垣城」の主郭部(山頂)を目指さずに巻き道を辿って各支尾根に残る遺構を探索してから下山します。
前置きが長くなったので早速参りましょう。
では
初回2023年12月の雷電山経由ルートの紹介から

駅舎の撮り忘れというミスをやってますが・・近くの踏切から線路は撮影してます。
所で「軍畑駅」・・・これ読めますか??
難読駅名の一つで「いくさばた駅」 と読みます。
「辛垣城」「桝形山城」で戦火を交えた三田氏・後北条氏の「辛垣の戦い」が軍畑の名前の由来の一つとして伝わるそうです。
であるならば
軍畑駅から登るのが訪城ルートとして正当でしょう(個人の感想です)
※ 実情は登山道周辺に駐車場がないので電車移動しただけですが

軍畑駅を出てからは都道193号を北上し、稜線の「榎峠」を目指します。
20分ほどで

「榎峠」に到着

ここから稜線沿いの登山ルート「青梅丘陵ハイキングコース」に入ります。
- 榎峠開鑿工事記念碑 -

この古い石碑は登山道入るとすぐにあります。
日付は判読できませんでしたが寄進者の名簿と金額が刻まれています。
金壱圓から金四圓までの金額から少なくとも戦前の物でしょう。

石碑背後にある岩盤切通し道。
車道規格ではないので明治大正期? だとしたら手堀り工事ですかね?
ネットでも情報が拾えなかったので詳細は不明です。

当時の道路遺構としたらこちらもかなり貴重かと。
なのでやや脱線した内容ですが載せました。
さて、謎の切通し遺構も見られたので ひとまず雷電山に向かいます。

ハイキングコースと名前が付くだけあり、標識も充実し道も良く整備されています。

と思ったら意外と階段ルートが多いので体力的にはややキツめかも
年齢のせいか下りの階段が膝にダメージを与えてきます・・・階段は嫌いですねぇ、斜面の方がまだまし。

そうこう言いながらも山頂が見えてきました。

榎峠から約30分で「雷電山」山頂に到着。
山頂付近は植林地なので眺望はあまり良くないですね。

この北側のアングルだけ山頂らしい景色が楽しめます。
それよりも
お城好きには気になる事が・・

雷電山山頂部の周囲、一部が横堀状の溝が巡らせているように見えるのですが・・
なんでも遺構に見える病?
というのも

雷電山を後にしてからも人為的に稜線を断ち切った地形など「堀切」とも見えなくもない地形があるんですね。
ここは推定ですが古い峠の切通しの跡かと。
さて
雷電山山頂から約15分で

「辛垣城跡登り口(急坂)」の標識に到着。 ここでルートが分岐します。
辛垣城跡登り口が山頂ルートで
本線が山頂迂回するいわゆる「巻き道」です。
ここは当然山頂ルートを選択します。

ここで「辛垣城」主要部の現地縄張り図を掲載します。 現在は図の左上から山頂部に向かってます。
注意点が2つあって、山頂ルートが省かれているのと、現在位置の表記とルート上の現在位置は異なります。

さて山頂ルートを辿ると早速現れるのがこのような荒々しい岩盤の露出帯。
自然の渓谷に見えますが・・恐らくこの辺りも鉱山開発による採掘跡です。

稜線沿いも穴だらけ。
堀切に1本土橋を渡しているように見えますが採掘跡と推定。
採掘岩稜帯を抜けると

一旦 自然地形の稜線ルートに戻り

明らかな城郭遺構「堀切」 の遮断線が現れます。
「辛垣城」の遺構にようやく出会えました。
この堀切を登りきると

山頂?
小ピークを均した郭のようですね。

辛垣山の標識があるのでここが現在の山頂なのでしょう。
巻き道との分岐から約10分で到着。
長くなったので次回
辛垣城・枡形山城2 に続きます。
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