再び登場の現地縄張り図です。 今回は2郭からスタートですね。
2郭内部の様子。 周囲には土塁が巡らしてあります。
郭内部はよく平坦化されています。 ちなみに小倉城でまとまった面積を持つ郭は本郭とこの2郭だけ。
2郭から見た本郭側の様子。
2郭と本郭は同じ尾根筋を利用して造作されていますが堀底道によって完全に分断されています。
画像左手の山道奥に本郭へ入る虎口があります。
奥に進むと現れる本郭南側の虎口。 脇に回り込ませて虎口で遮断という実に良く考えられた造り。
虎口の現地解説文。 今でこそ土の城の趣きですが当時は石造りの虎口だったようですね。
本郭内部へお邪魔します。
本郭内部は2段に別れております。 足元はウッドチップが撒かれており柔らかい感触。
こちらは2013年1月の小倉城本郭内部の様子。
ちょうど発掘調査中でして、撒きたてのウッドチップが確認できます。
お約束ですが 本郭にある小倉城跡の石碑。
石碑前にある周辺図。
自然地形の外郭線というのがポイントですかね。
と 言うのもこの外郭線とされている稜線が邪魔して小倉城からは周囲の様子が余り良く見えません。
また 山一つ先にある菅谷城とこの小倉城の関係は?
もう指呼の間にあると言える程に異常に接近してませんか? この二つの城・・
これを見ると麓の大福寺の前に堀跡が書いてありますね・・これは完全に見落としておりました。
この堀を含めると小倉城は純然たる山城ではなく麓の平地部も含めたかなりの規模を誇る城郭ではなかったのではないでしょうかね。
いささか脱線しましたので画像の紹介に戻ります。
これは別のアングルから撮影した本郭、 本郭は周囲を土塁によって保護されています。
本郭の東側虎口から一旦外側に出てみます。
虎口断面に残る石積み遺構。
ここにも他と同じような板状の石を積み上げられています。
虎口を抜けて東側の支尾根に展開する郭3に向かいます。
これはその前に遮断線として存在する堀切。
土ではなく岩盤を掘りぬいて造られています。
ダイナミックな堀切の底に降りて撮影。
法面は岩盤むき出しと石積みの箇所が混在しています。
3郭周囲はこのように見事な石積によって固められています。
この郭が石積みの残り具合が大変良く小倉城最大の見どころの一つと言えますかね。
もう一枚掲載します。 ここの石積みは腰位の高さ。
ここはかなり高く積み上がってます。 とは言え、土の切岸面の上部2メートル程を石積みで固めるような手法です。
あちこちにある土嚢袋による補強箇所。
考えてみれば不安定な石積が400年以上も崩れずに残ってきたことが奇跡なのかもしれませんね。
東側の郭を後にして、本郭北東側の腰郭方面に移動します。
腰郭前の虎口の様子。
藪々に覆われた土の城の様相ですが・・・
虎口周辺にはしっかりと石積が残ります。
腰郭から見上げた本郭の様子。 この辺りは石積は見当たらず・・見落としかもしれませんがね。
本郭北側、小倉城のある尾根の北側先端部へ続く枡型虎口。
その解説板。 このまま小倉城北端へ行きます。
藪で判りにくいのですが尾根筋をざっくりと断ち切る大堀切の様子。
この辺りで本郭側に引き返します。
先程の枡型虎口から本郭側を見上げた様子。
虎口土塁奥の台形状の土の盛り上がりが本郭になり、虎口から侵入しても本郭の土塁線上から補足される事になります。
本郭北側の坂虎口を登って本郭へ戻ります。
かなり崩壊が激しいのですがここの虎口も石積みで固められています。
虎口の先は本郭内部なのですが堀底道の様な形状が続く厳重な防禦。
画像左手が本郭東側の土塁線、堀底道を挟んで右手が本郭平坦部。
土塁線上から小倉城北東方面を撮影。 山が切れているので菅谷城方面かと思いますが。