ちょっと山城に (正規運用版)

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八王子城 主郭北麓 1  搦め手からの奇襲ルート辿る 導入部編

八王子城 主郭北麓 1 

 搦め手からの奇襲ルートを辿る 導入部編

 

 

訪問 

2022年3・4・6月

2023年1・1・8・12月

2024年1・3月

 

 

 

 既に幾度も紹介してきた八王子城の紹介に戻ります。

 

 今回の主郭北麓編八王子城の縄張りと落城の経緯についての核心部分編と言うべき、本丸背後から西方堡塁群を含む、北~西側「搦め手」側の遺構紹介となります。

 

 登山道が未整備で訪問者は極めて稀な一帯ですが、反して遺構の残存状態は良好かつ内容も素晴らしい。

 と、言う事で短くまとまり切れず8回位の長編になりそうです。

 

 

 八王子城は、力攻めによって落城し(実は結構珍しいかも)戦闘経過が比較的伝承された城郭になります。(これも珍しいでしょ)

 戦闘経過が今回の紹介範囲にも関連するので、その辺りも少し触れながら紹介できればと考えています。

 

 長い記事で内容のマニアック度が振り切ってますが・・・ 気になる方はよろしくお付き合いください。 

※需要ないかも 

 

 

八王子城 西方堡塁群 石積遺構

 

 

今回の地図は国土地理院先生です。

地形の理解にはグーグル先生より優れますが、それでも不足気味なので

 

 

麓のトイレ壁面に掲示してある

八王子城跡 主要城郭 周辺陰陽図

 こちらを紹介中の地図とします。

 この陰陽図、実は極めて優秀。 

現地で表面観察しても認識できない痕跡程度の遺構まで一目瞭然に浮かび上げてます。

 なんでトイレの壁なんかに掲示しているのか? もったいない。

 

 

これに八王子城遺構と思われる(一部妄想)高低差の濃淡にラインを引くと

こうなります。

 

堀切(遮断線)は黄色太ライン

切岸・石積や土塁線などの防衛線を赤ライン

で記入しました。

 

 

ここから八王子城縄張りの特徴を2つ挙げると

 

①山城では一般的な「堀切」の分布は、太鼓郭・本丸西側の2エリアに限定される。

 

②「金子郭~柵門」 と 「馬冷やし大堀切~詰め城~北尾根」 の尾根筋は赤ラインの防衛線によって一体化されている。

 

まぁまぁ

詳細なうんちく(妄想)は本文のほうでおいおい紹介するとして

 

 

この陰陽図に登山道をプラスします。

 登山道の分布は八王子城の縄張りに対して偏りがあり、全てのエリアを網羅している訳ではありません。

 特に、本丸の北から西側にかけての広大な範囲がごっそり抜けている
んですね。

 

 

前置き長くなりましたが

今回の紹介は、この登山道がごっそり抜けた本丸北西部です。

 

こちらは

「登山道プラス」にこれから紹介する範囲のルートを書き加えたもの。

複数回の訪問ルートをまとめるとカオスですね。 

補足します。

 

赤ライン緑ラインに色分けしてますが 全て作業道です。

 

赤ライン

明瞭な踏み跡がありピンクリボンの誘導もあるまだ歩きやすいルート。

 

緑ライン

踏み跡無し、鎖場(虎ロープ場?)、滑落の危険、そもそも立ち入り禁止(後で知りました・・)などの、危ない完全自己責任ルート

 

 

なお 

完全廃道状態と未踏破部分は図に反映してません。

作業道の閉鎖や路面崩落等により現在通行不可もあり得ます。

 

 

 

 

今回訪問エリアのポイント3点 として

 

1. 情報が極めて少ない、 判らないものは余計気にかかる。

2. 八王子城攻めの際、この「搦め手」ルートからの奇襲攻撃の伝承がある

3. 「西方堡塁群」の北端が見たい

 

西方堡塁群とは ↓ のピンクラインの尾根筋の事です。

 尾根上の各小ピーク上を堡塁とし、尾根上に石積みを連ねる事によって尾根そのものを連続した防衛線に仕立て上げた遺構です。

 「馬冷やし」の大堀切からスタートし西に進み「詰め城」の小ピークを経て更に北側まで伸びます。 

 一般の見学ルートで見られるのは「馬冷やし」から「詰め城」までに限られます。

  

西の陣馬山辺りから稜線沿いに侵攻を受ける事を想定して築かれたとされてます。

 その為か、「詰め城」西側には規格外の巨大堀切を設けて稜線を物理的に切断してます。

 

こちらが実際の「西方堡塁群」の画像です。

稜線の片側のみに崩落したと見られる石積みが残ります。

 

補助線を引いた所。

石積のある方は城の外側です。 相当堅固な防衛線に見えますが

 

 

前から一点 気になっていた事が

オレンジ色の〇を付けた所。

 

 

隙間があるんですが・・これで大丈夫なんですかね?

 

緑矢印で書いた想定侵攻部隊が北に迂回したら? 

 

 

実は

その懸念は杞憂ではなく

2.の「搦め手」からの奇襲の伝承を 簡単に図に落とし込みました。


 実際は北側の「細久保谷から侵入した直江兼続「水汲みの谷津」から地山を直登して奇襲を掛けたと伝わります。

 

麓の居館部分を占拠した主攻部隊が山頂部へ侵攻中に実施されたと言われる奇襲攻撃。  

伝承の位置からの奇襲攻撃の可否や、その効果も含め興味が尽きないエリアです。

 

 

 

さて

話が長くなりましたので 八王子城へ移動しましょう。

 

 

今回はガイダンス施設のある大手口には行かず、北の搦め手側からアプローチします

陣馬街道恩方第一小学校脇の松竹橋を渡って集落を南下します。

 ※松竹橋の正面は浄福寺城の東端です。

 

 

地図に振った番号を元に紹介します。

 

松竹橋から集落を抜けると

2分岐が現れます。

左手は、八王子城への登山道入り口。

右手は未舗装の林道です。 

徒歩の方はこのまま左側の登山道へ、車の人は一旦右の林道へ

 

 

1林道を進むとまもなくゲートが現れます。

 この辺りに数台停めらる余地があります。

 

ゲート左手の窪地。

ここは、八王子城北の搦め手側の防禦陣地(郭)跡と推定されます。

 でも、言われなければ気づきそうもありませんね。

 

徒歩で林道を戻り

 

2の分岐まで戻りました。

 

見上げると背後の「心源院」へ続く稜線ルートが。

 

 稜線ルートの紹介は既出の為 興味のある方はこちらへ

kurokuwa.hatenablog.com

 

 

1.2キロは八王子神社までの距離ですかね?

では

 

登山道を進みます。

奇襲部隊が侵入したと言われる「細久保谷に繋がるので、本来は谷底ルートですがしばらく平坦地が続きます、駐屯地跡とも言えなくないかも

 

枯れ沢に掛かる朽ちかけた橋を通過し

 

更に平坦地が続きます。

 

3.ここに分岐があります。

 

本線は直進ですが、まずは右手に折れて寄り道します。

 

「清龍寺滝」通行注意

後から付け足した通行注意がひっかりますが

さっそく寄り道して 滝の見学から始めます

 

 

 

という事で「清龍寺滝」紹介は次回の  

八王子城 主郭北麓編2 にて

 

 

他の八王子城関連はリンク集から

kurokuwa.hatenablog.com

 

 

 

 

参考文献

堀籠隆 「巨大山城八王子城 精密ルートマップ 2016年版」 揺籃社 2016年

前川實 「決戦!八王子城」 揺籃社 2009年

東京都教育委員会(編) 「東京都の中世城郭」 戎光祥出版 2013年

西俣総生 「東国の城の進化と歴史」 河出書房 2016年