いよいよ根小屋城の紹介になります。
個人的にはここが一番のお勧めですね。
根小屋城はかなりの大がかりな土木量を投下して築城されたようで、見上げるような切岸や堀が随所にある、見ごたえ十分な城郭遺構です。
現地案内板の根小屋城の紹介を掲載します。
根小屋城址
根小屋城の築城については、上野詩関東古戦録等に、永禄11年(1568)或いは13年に、武田信玄が、山名・鷹の巣の間に新城を築き、信州佐久郡望月の城主望月甚八郎、同じく伴野庄の住人伴野助十郎を入れて守らせた。
と明らかに記されている。鷹の巣とは、現在の寺尾公民館上の御嶽山から登りつめた所の、城峯神社のある茶臼山城址の事である。
永禄5年蓑輪城を落とした信玄は、西上州を手中に収めて、北条氏康、上杉謙信と対峙していた。
この城は、狼煙台として、新附の倉賀野、木部、和田の諸将を監視するため、守兵は信州の信頼できる将兵を入れたものである。
なお根小屋とは平素城兵の居住する所をいう。従ってこの地名の所には、必ず山城の址があるはずである。
尾根道を進むうち根小屋城址のある支尾根が見えてきました。
支尾根先端のこんもりした場所が根小屋城になります。
これが丁度関東平野の縁といいますか、比高は大したことないのですが
この先が全てまっ平ら地形のため眺望抜群なんです。
自然歩道を進み、ここから根小屋城のある支尾根に分岐します。
高崎自然歩道の案内を掲示します。
先にも書きましたが山名城からは徒歩で約15分位。
支尾根を進みます。
尾根は案外と痩せ尾根気味です。
現地に縄張り図の掲載が無い為、図を拝借して掲載します。
じっくり見たい方は訪城前に縄張り図を用意されたほうがいいでしょう。
番号順に紹介します。
1 痩せ尾根を進み、藪に覆われた堀切を渡ると このような右回り・左回りのルートに分岐します。
これは根小屋城の各廓が中心部にある本廓をぐるりと囲むように配置されている為でしょう。
2 右回りを選択して、虎口を進みます。
2 の虎口を振り返って撮影。
虎口の先は堀底道状になって、本廓右手の小廓のを周回しています。
3 の地点から城外方面を撮影。
足元堀切を挟んで 小尾根筋を削平化された小廓が存在しています。
4 地点より城内側に向かって撮影。
堀底道の先、見上げるような切岸の法面の高さが圧巻です。
5 追手(大手)を撮影。
平地側からのアプローチが本来の城の正面なのでしょうね。
同じく 追手地点から城外側方面を撮影。
先ほどの堀底道と 更に外周を巡る堀底道との結節点でもあります。
これが動線を巧みに折れさせ侵入者を阻む技巧的な仕上げになっており実に見事なのですが・・写真に納めると全く解りませんね・・
6 の竪堀の様子です。
堀底はかなり埋もれているようです、冬場にも関わらずここから麓側は下草が多くほぼ侵入が不可能な状態でした。
このあたりから関東平野がよーく見渡せます。
手前の市街地は高崎市です。
山の多い信州から遠征した武田兵に、地平線彼方までまっ平らな関東平野は
どう感じたのか・・
根小屋城の続きは次回また