ほぼ仕事の往復で毎日小机城址を車で通過してたものの、 勿論途中で寄る事も叶わずでして、 今回、 漸くじっくり見学できました。
つなぎ廓堀底より東廓空堀を撮影
この当時、 先日訪城した茅ヶ崎城などは小机城の支城だったようです。
また その後の小机城は、 代々笠原氏が城代を受け継いで行きます。
その後、 秀吉の小田原攻めの際に無償のまま落城し、 徳川移封後に廃城とされています。
ただ、 付属の駐車場はありませんので、 車なら小机駅北側に100円Pがあるので、そこを利用するのが便利。
そこから森に向かって歩き、 あちこちに張られた手作り案内に従って歩くと、 極めて解りにくい入口に無事に辿りつけられます。
「ぶらり!東京近郊の名城・古城」 より小机城縄張り図
横点線が、第三京浜建設に伴い破壊された箇所です。
縄張りは、 大雑把に言うと 大きめの東西の2郭と、 それを繋ぐ小廓(そのまま つなぎ廓) を中心にして周囲に帯廓と配した造りになってます。
横浜線を挟んだ南側の丘にも城郭遺構があるらしいのですが そこは未調査の為割愛します。
手作り案内に従って進むとまずここ、西廓の空堀を挟んだ南側にでます。
斜面を登る途中には、 竹林の中に帯廓の名残と思しき削平地が幾つか確認出来ます。
それにしても良く手入れされた竹林ですね。
坂を登り切ると空堀にぶつかります。 画像、堀を挟んで左手が西郭。 手前土塁線を奥に進むと東廓方面。
堀の深さは5メートル前後・幅は10メートル程度でしょうか、良く残っています。 堀底は現状で平坦となってます。
西郭へ入る土橋です。 ここから廓内に入ってみます。
この土橋には折れが加えられてる様に見えますねぇ
西廓内部はグランドにされてる様です。 広さは丁度少年野球が出来るくらいでしょうか。
廓には土塁が比較的良く残ってました。 ただ残念なのはこの土塁の向こうは第三京浜。
現地の案内板です。 丁度本丸広場と書かれた位置です。
ですが、 東西の廓・・どちらが本郭であったのかは決着がついてないようです。
第三京浜の反対側が気になったので
そちらに移動します。
第三京浜真下のトンネルには何故か路駐だらけでした。
反対側は 公園なのか畑なのか
はっきりしない状態でした。