天幕城
訪問 2015年 2月
駐車場 有 (公園内)
案内板 有 (城北側)
前回紹介の毒島城から北東に車で10分もかからない距離に天幕城は立地します。
城跡は赤堀磯沼公園の一部として整備されています。
天幕城 主廓部土塁。
場所はこの辺り。
いつものように現地案内板の紹介を掲載します。
天幕城跡
天幕城跡は南北400m、東西120mの自然地形を利用した城で、西側は蕨沢川が流れ、北と東側は蕨沢川の旧河道の低地で城外と隔てられている。
本丸の北、西面には今も高さ4m程の土居を残している。
本丸を中心とした部分に、腰郭、水の手郭、堀切、矢払い等の軍事的な構造が顕著に見られる並郭城で、戦国時代の赤城南麓諸城の特徴を良く現し、かつ、その姿を留めている。
天幕城は那波氏、桐生氏の城となり、ある時は由良氏に攻略されるなど、戦国時代の動乱期の経た後、天正18年、後北条氏滅亡と共に廃城となった。
天幕城跡は、赤城南麓ひいては赤堀町の戦国時代を解明する上で重要な文化財であり、赤堀町の貴重な文化遺産として、後世に伝える為、町指定文化財とした。
(上書きで)伊勢崎市教育委員会
山頂から緩く周囲に下る広大な赤城山の山裾、そこを流れる幾筋もの河川の浸食作用によって細長に細長い「筋目」が形成されます。その地形を巧みに利用して天幕城は築かれているようです。
規模こそは異なりますが同じ県内の蓑輪城の同じような立地ですよね。
天幕城のある公園の案内図です。 図下が北になっています。
右端が城跡、蓮園が堀の跡です。
訪問時は 磯沼脇の無料駐車場を利用しました。
何故わざわざ遠い方に・・ 何故ならば
城側の駐車場は現在ソーラー発電所になっています。
最近これ 本当に増えてますね。
先日、山を切り崩して建設している所を見ましたが・・森林破壊までして地球にやさしい発電所の建設とは本末転倒甚だしい・・
少し脱線しましたが、ようやく現地縄張り図を掲載します。
図の「ケバ」は現存遺構、点々が消滅した遺構です。
2郭右側が蕨沢旧河道を利用した堀跡で、現在は蓮園とされている遺構になります。
本廓こそ、がっちりと造作されていますが、他は可能な限り地形を利用して省力化を図った築城がなされたように思えます。
磯沼の堤から撮影した天幕城。堀跡を挟んで2廓と 本廓が確認出来ます。
蓮園の堀跡も 季節柄乾燥しきっていました。
堀の法面は自然地形を削り込んで鋭角に加工していると思われます。
堀底は相当埋まっている筈なので当時はもっと深く鋭い堀底であったと思われます。
入口です。 案内板のある場所です。
半分だけ残る本廓土塁跡を外側から撮影。 僅かに空堀の痕跡も・・
高さはそれ程でもないのですが、幅が太いですここの土塁。
縄張り図の 本丸の「本」の文字辺り土塁から本廓方面を撮影。
郭内は現在、普通に耕作地。
土塁の南端まで進んで北側を撮影。 先端に向かって土塁が低くなっています。
画像ではただの段差ですが、撮影地点は縄張り図 本丸と3の丸を隔てる切岸の位置になりますので遺構の一部かと。
蕨沢川沿いから水の手郭方面を撮影。
竹藪で遺構が半ば隠れていますが、最も城郭遺構らしいアングルですかね。
おまけです。
磯沼の様子です。 堤に桜が植わっているので春先になればお花見に良い場所なのでしょうが、訪問時は真冬の2月、当日は北風がとても強く吹く付ける生憎の気候で、磯沼の回りには当然誰もいません・・
磯沼の堤の脇にある古墳です。
小さな古墳ですが畑にぽつんとある土盛りはかなり目立つ存在でした。
天幕城の評価は 2 とさせて下さい。
本廓の分厚い土塁が4方残っていれば、堅固な城主郭部としての存在感を出すのでしょうが、現状では縄張り図を良く見てから散策をしないと、天幕城の構造が頭に入ってきません。
なので少し辛めの評価です。