連休ともあって 久しぶりにブログに手をつけます。
それでは 信玄公で有名な躑躅ヶ崎館の 後編をアップします。
梅翁廓を後にして 館西側を進み 裏手(北側)を目指します。
西廓を水堀越しに撮影。 立派な土塁の勾配と高さは 平地居館のイメージを覆す規模でした。
もう立派な城郭ですね。 このまま 北側に向かいます。
館の裏(北)側の様子です。 遺構らしき石積みと、 耕作地としての石積みが混じっているようで、一体どれが躑躅ヶ崎の遺構なのか解りにくい状態でした。
右手雑木林が神社境内になります。
暫く空堀に沿って進むと 西廓へ伸びる土橋が見えて来ました。
土橋の先には虎口があります。
虎口の土塁に登り 見下ろして撮影。
左手が西廓内部で、右手が先ほどの土橋になります。 ここが もっとも原型を留めていそうな虎口でした。石積みらしきものも残ってます。
右手外部から侵入すると この虎口でクランクを強いられる仕組みになってますね。
内部に入らずに 又北側に戻ります。
真っすぐ北に伸びる 土塁と石積み遺構があります。 この石積は果たして当時の物なのかは 何とも言えませんが・・
登って 館側を撮影。 堀を挟んだ向こう側に見える小廓は 「稲荷廓」 跡です。
稲荷廓内部の様子。
その名の通り お稲荷さんが祭られていました。 武田神社は人で溢れていますが 裏手に当たるこの辺りは地元の方か このような一部のマニアしかおりません。
先ほどの撮影地点を反対側から撮影。
堀を挟んだ左手前が 稲荷廓。 黄色いラインで印を付けましたが 土塁面が 稲荷廓沿いに進む道を阻むように存在しています。
その説明板です。 当時の大手は 現在の神社参道と違い、この↓東側の土橋でした。
今では 神社裏口の扱いを受けている東側土橋です。