夏の群馬城巡りの記事が終わったので 再び近所の城巡りの記事です。
本郭部分は史跡保護の為に立ち入り禁止とされフェンス越しの見学になりますが、 周辺部分にもそれらしき城郭遺構が残ります。
石神井城は、平安末期から室町中期まで、 現在の台東区、 文京区、 豊島区、 北区、 荒川区、 板橋区、
足立区、 練馬区などやその周辺地域に勢力を持っていた 「豊島氏」 の居城の一つです。
城の築城は、 鎌倉時代後期と考えられ、 文明9年(1477年)4月28日に太田道灌に攻められ落城し、
廃城になりました。最後の城主 「豊島泰経」 は石神井城の落城後、 平塚城 (北区西ヶ原)に敗走し、 その翌年の1月25日、 再び道灌に攻められ小机城(横浜市)に逃げ込んでます。その後の泰経の足取りは記録に残っていません。
現地の縄張り図です。
三宝池に面した 「中心内廓跡」 は土塁に囲まれた方形の単廓で 史跡保護の為立ち入りに制限があります。
その周囲に堀底道を挟んで幾つかの廓を築き防衛施設としています。
15世紀の古い城郭だからでしょうか、 ちょっと変則的な縄張りですね。
公園から漏れた広大な城域は、 現在ほぼ市街地化されて、 廓の痕跡を留めるのみです。
まずは 東側にある道場寺裏手の
様子です。
元の廓と思われる寺の境内と道路
との比高差は今でも3メートル弱はあります。
反対側はこうなってます。 道の右手奥が中心内廓 で 左側は比高差2メートル程の土塁の跡です。
正面の道路は当時の堀底道をなぞっているようです。
フェンス越しに見えるこんもりした茂みは土塁です。 手前の道と並行して続きます。