ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

茅ヶ崎城 (神奈川県 横浜市)

 今回は珍しく神奈川県へ遠征です。
 
 横浜市営地下鉄センター南駅から徒歩5分程の住宅街の真っただ中にある茅ヶ崎城は、 奇跡的に開発の
 
手を逃れ、 現在は横浜市によって 茅ヶ崎城址公園」 として整備された平山城です。
 
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                                            草に覆われた中廓
 茅ヶ崎城址は、「空堀」 「廓」 「土塁」 などが良好な状態で残る、 貴重な中世城郭遺跡です。
早渕川を北に望む自然のおかを利用して築城されています。
 茅ヶ崎城は14世紀末~15世紀前半に築城されたと推定され、 15世紀後半に最も大きな構えとなりす。
16世紀中ごろには二重土塁とその間に空堀が設けられました。 (この築城法は、 後北条氏独特のものと
される)。
 築城には、 それぞれの時期に相模・南武蔵を支配した上杉氏(室町時代) や後北条氏(戦国時代) が
関与 していたと推定されます。
16世紀末までには、 城としての役割は終わります。
 江戸時代には、 徳川氏の領地となり、 村の入会地(共有地)などとして利用され・・   以下 略
                                                                      -現地案内板よりー
 
 

 
 
 ニュータウン開発により周囲の地形は改変著しい状態ですが、 城の立地的には駅方面から東に伸びていた
舌状台地の先端部分を利用して築かれているように見えました。
 
 
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 現地の非常に精密な縄張り図です。 詳細な等高線まで入ってますね。
東北廓と北側の帯廓は宅地開発されてますが 他の廓部は公園整備され現存してます。
 
 
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北側からアプローチします。 坂の上の緑地が城址公園です。
 坂手前の平場も城郭遺構の帯廓の名残かと思われます。
 
 
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  坂を登ると市道に沿った見事な土塁が続くのが見えます。 
手前の標識の所に公園入り口があり、 縄張り図の北廓左手にある堀底道へ続きます。
 
 
 
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  堀底道から城内へ上がると、 中廓土塁の張り出し部にぶつかります。 登り坂を上がり切った所にあるこの
巨大な土塁にはかなりの威圧感がありました。
 ここで堀底道は左右に分かれ 左手は北廓内部、 右手に進むと虎口を経て西廓と中廓を分ける堀底道へ続きます。
 
 
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 虎口付近にある解説板。
城址内要所要所に設置された解説板はかなり詳しく説明されており、 城郭の予備知識なしで訪城してもよーく理解出来るはずです。
 横浜市、ここではいい仕事してますね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 城内から駅方面を撮影。
まわりは すっかり市街地です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 虎口を通り抜けて先の堀底道を撮影。 左手が中廓 右手が西廓です。
堀底が舗装されたのはちょっと残念ですが 市街地ただ中でここまで見事な土塁が残されて、 しかも史実に基づいて保存されている・・・これはかなり貴重な存在ではないでしょうか。 
 地形に関して、 両廓の比高差は殆どないか中廓が若干高いと感じる程度でした。
 
 
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  西廓の内部。 廓周囲を取り巻く土塁も良く残ってます。
 
 
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  こちらは北廓内部です。 土塁先の中廓より一段低い構造で比高差は手前のトイレの高さからして3メートル以上はありそうでした。
 
 
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 中廓内部です。 確かここには建物の礎石跡の標識があったはず・・なのですが・・・腰の高さまで伸びた
雑草に隠されて完璧に解りません。 
 
 
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 中廓南側の土塁線に沿った遊歩道を撮影。
当時は帯廓だった所かと。 左手の竹林の中にも帯廓らしき削平地がありましたが私有地なのかフェンスの外で
入れませんでした。
 
 
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 中廓と東廓を繋ぐ土橋跡です。 
 
 
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 その反対側にある東廓虎口・・・って何故かここはフェンスの向こうなんです。  
 この先が非常に気になる所ですが、 虎口を降りると下の個人宅の庭先に出てしまいそうでこの処置は仕方がないでしょう。
 
 
 
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  住宅と畑地の混在する東北廓から 東廓を撮影。
 
 開発前の茅ヶ崎城とその周辺が農村だった頃の雰囲気が僅かに残るアングルでしょうか。
 
  こう見ると東廓が最も高い位置にあるようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
  
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 城南側、 旧根小屋地区方面から全景を撮影。
かなりの急こう配なんでしょうね、法面に土留め工事が施されてます。
 
 
 現状として 廻りの田畑や雑木林がニュータウン建設ですっかり開発された中、 茅ヶ崎城に関しては重機で潰されもせず遺構がそのまま残った事自体が奇跡的に思えました。
 遺構自体も土塁を中心として良く残りその規模も相当な物があります。 また 史跡公園として整備されながらも過剰な復元をしない姿勢には好感が持てました。