浸食台地の上の小丘陵を利用して築かれています。
七里岩台地の東西の崖端は比高100メートル近い断崖絶壁が延々と続き、ここからの侵入は全く不可能
であり、 唯一地続きの北側の防禦として城から1キロ強離れた支城の能見城(未訪城)付近に遮断線を構築し
台地そのものを巨大な外郭部としています。
― 七里岩ライン(県道17号)より見た新府城北側 ―
冒頭の画像のように一見すると桃園の中にある丘に過ぎませんが武田流築城術の最終形態であり
かつては御屋形様の居城、丸馬出しや舛形虎口など見所が満載に残ってました。
現地にある想定復元図です。 地図上が北になります。 まずは外周から見ていきます。
城域(史跡指定地域)は約20ヘクタールにも及び、さらに外郭も含めれば広大な一大城郭を形成していたのでしょう。
城北側の堀跡です。
新府城の見所の一つである堀に向かって細く突き出す出構です。 東西2箇所ありこれは東出構。
十字砲火を狙った銃座とされています。
東出構の根元から西出構を撮影。
旧水堀はすっかり埋まり元?の川に戻ってます。 右手の城外はなにやら公園化整備中の様子です。
西出構根元では発掘調査が行われているようです。
出構って果たして実戦で有効であったのでしょうか? 逆にここを橋頭堡として城内へ侵入され易くなりそうにも思えてきます。
西出構から城搦め手方面。
背後には南アルプスがどーんと広がりまさに絶景でした。 手前の堀跡は湿原になっています。
果樹園や畑地の多い七里岩台地にしては驚きの水量です。
西出構と周辺の引き画像
手前の石板には堀の発掘調査の成果等が説明されてます。 内容は↓に転載
西出構と東出構の約120メートルの間に3箇所の折れを持って構築されており、幅は6~7メートル、堀底まで およそ2メートル前後の深さがある。
堀は南側が急斜面となり、北側上半部の傾斜は緩く20~30度、下半部で45度前後の角度をもつ。
石積みなどの構造物はなく、箱堀で、断面は2段の逆台形をしている。
この堀の北側には深田状の湿地帯が広がっていたと推定され・・・以下略
東出構 正面
奥に見える城内土塁面より一段低いのが解ります。
城東側の水堀跡。
堀と城は県道17号によって分断されています。
以前はここに 「首洗池」 と書かれた看板があった記憶があります。
堀には貯水用の堤が複数確認できます。
城東側にある現在の入り口です。
石段を上がると一直線に本丸にある藤武稲荷神社に着きますが勿論当時はそんな容易に行けません。
鳥居まで石段を登り本丸方面を見上げ撮影。
帯廓の土塁線が連続してあるのが解ります。 縦深こそありませんが高低差はかなりあります。