ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

諏訪原城 (静岡県 島田市) 1

 
訪問 2013年 5月
 
前回の興国寺城に引き続き静岡編になります。
 
 今回は牧ノ原台地の東端に築かれた諏訪原城です。 
 諏訪原城は武田氏による遠江方面攻略の拠点として、1573年に武田勝頼が馬場美濃守に築かせたとされています。
 しかし長篠の戦の敗戦以降、武田勢は劣勢にたたされ、1575年には徳川氏によって諏訪原城は落城したとされます。
 
 有名な丸馬出しも武田ではなく徳川時代の構築である・・と言われているようですが その辺りは専門の方にお任せして、ひとまず画像で紹介を進めたいと思います。
 
 
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 国指定の史跡だけあって、途中案内看板もあり道に迷う事はないかと思います。
 無料駐車場も完備しております。
 
イメージ 2車と停めると 早速このような
 パンフレットの用意がしてあり・・・・ません。
 
 いつもはきっとあるんでしょう・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 駐車場付近にあった案内図です
 中央下の現在位置 から城巡りが始まります。
おおまかな城の立地は、右手本郭が牧ノ原台地の東端にあたり、台地の端は急こう配の段丘地形、左手は台地続きの比高差のない地形です。
 
 
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案内図 大手郭と書かれた辺りは一面の茶畑が広がります。
 その中でも供養碑がひっそり建っていたりします。
 
 
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早速 丸馬出しに遭遇
 これは2郭大手馬出しと呼ばれる丸馬出しの空堀です。
左手 馬出し内にある諏訪神社の社殿と比較すると堀の大きさ・深さのイメージが出来ると思いますが、 これが想像以上のびっくり規模でした。
 
 
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馬出し内にある 諏訪神社。 諏訪神社があるのが武田氏らしいですね。
 手前参道は馬出しへの土橋になります。
 
 
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土橋から馬出し空堀を撮影。 堀の勾配は内側が比較的緩く 外側は場所によっては垂直にまで削り込まれていました。 こういうのを片薬研て言うんでしたっけ。
 
 
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これが垂直まで削り込まれた箇所。 
 圧倒的に鋭くて深い空堀を見て、静岡まで遠征した甲斐があったと既に大満足になっていました。 
 
 
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土橋の先を歩いていたら民家の脇をすり抜け県道(旧東海道)に出てしまいました。
 近くには当時の石畳の道が残されているようですが、そこまでは足を延ばしませんでした。
 
 
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再び城内に戻ります。
 こちらは 外郭部に外側に向かって一直線に伸びる 大手北外堀。
 敵兵の横移動を阻害する役割があるそうです、山城が斜面に竪堀を構えるのと同じコンセプトでしょうか。
 深さは1,5m程度と浅め。
 
 
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こちらは、 先ほどの諏訪神社のある大手馬出しに隣接する 2郭南馬出し。
 非常に規模が小さく、堀も2メートル程度の深さしかありません。
 大手馬出しが徹底的に防禦を固めているのに対して、 此方の馬出しは非常に控えめな規模。 この差はなんなんでしょうか・・・
 
 
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こちらは 2郭中馬出しから 北馬出し方面を撮影
 馬出しの2連構えの重層防禦。 土橋も良く形態を残しています。
 
 
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2郭内の様子。  かつては畑地として利用されていた痕跡がありますが
 この時期は、お花畑状態でした。
 
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3の丸 とは 馬出し内側の郭下半分を指すようです。
 空堀際には土塁が巡らされています。
 
 
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8号堀・・看板倒れてますが 水の手郭から 2の郭南馬出しに向かって伸びる空堀です。  風化が進んでいるのか深さは余りありません。
 画像左手が郭内、右手端は写っていませんが崖状地形になってます。
 
 諏訪原城 2   に続きます。