訪問 2018年1月
案内板 有り
駐車場 無し
冒頭から結論じみた事を書きますが、ここ数年で訪問したどの城よりもここ浄福寺城は素晴らしい縄張りでした。
戦略拠点である八王子城とは全くことなる戦術級の城郭ですが、少数で防衛する という目的の為に研ぎ澄まさており 都内に残る隠れた名城と言えるでしょう。
訪れるのは一部のマニア(自身も含む)に限られます。
城の歴史について、はっきりした事は判っていません。
名前すら怪しいものでウィキによると、浄福寺城の別名が豊富でして
新城・案下城・松竹城・千手山城 とも呼称されるようです。
でもですよ、当時の人がどの呼び方をしてたのかは判りません。もしかしたら全部外れているかも知れないですしね。
大石氏築城と八王子城出城説では築城年代の推定が半世紀は違ってきますのでその間には火縄銃の普及や、戦闘が地域の小競り合いレベルから国単位の総力戦への変化があった頃です。
そうなれば城の造り方も必然的に変化している筈でしょう。
築城者・築城年・築城目的が不明で、縄張りが素晴らしい ときたらここは妄想力を最大限に活用して城巡りを楽しめるという訳です。
浄福寺城 畝状竪堀群
場所は以下のURLを参照して下さい。
よくよく考えると新城があるなら旧城もどこかにあるんでしょうね。
今回車はこの駐車場を利用させてもらいました。
登る前に浄福寺さんもちょろっと見学。
縄張り図付きの案内板も設置されてます。
一旦城内に入ると一切の看板・案内がないのでこの縄張り図は事前に見た方が良いでしょう。
現地縄張り図のみを拡大します。 この画像は拡大できます。
堀切を主体としたオーソドックな山城と見えますが、実は違います。
では縄張り図に今回の訪問ルートを加筆しながら概要を。
左下図外の浄福寺から尾根沿いに主郭を目指しその後、支尾根沿いの各郭群を見学してます。
主郭は城全体からみて西側に偏っており、明らかに東側(平地側)を意識した縄張りを持っています。
主郭西側の尾根は直下の大堀切で遮断した先はかなり遠方に警戒線用の堀切を設けるのみ。
東側の3本の支尾根はかなりの土木量を投下した防衛線が構築されてますが今回見学したのは北側・南東側の2本のみになります。
番号順に画像の紹介を進めますが、特に注目したいのが緑丸で印をつけた東南と北に延びる各支尾根の先端部。
この2か所の縄張りの技巧性は浄福寺城の中でも特に抜きんでて秀逸に感じられます。
一般的な城では主郭に接近するほど厳重な防禦姿勢になりますが、この浄福寺城ではむしろ逆で真っ先に攻勢に晒される尾根先端部が最も厳重な構えを持っています。
この辺りのコンセプトがこの城の特色でしょうか。
まっ、ひとまず登っていきましょう。
登り口にはちょっと見つけにくいのですが、墓地奥にある「白山大権現社」の脇にあります。
つらつらと登山道を辿ります。
暫く自然地形の山道を登ると「1番」の小郭に到着。
ピンボケしてますがここにはお社が建てられています。
この背後に若干の堀切跡があり、その後は尾根道を登り主郭を目指す事になります。
さて、ここから主郭までは堀切を主体とした山城らしい? の防禦が続きます。
低山の割に急こう配もある尾根筋なので、堀切と自然地形との組み合わせで防衛可能だったのか、敵勢力の脅威度が低い尾根道なのか? 理由は色々考えられますが私的に比較的安全な尾根と想定していたのかと。
ひぃひぃ登りながら撮影したので この尾根沿いの写真は手振れで全て壊滅的でして、こんな写真しか載せられません・・・
因みにここは「2番」辺りの坂虎口の様子です。
「3番」主郭直下の腰郭から主郭への虎口を撮影。
この辺りで珍しく同じ趣味の方と遭遇。
落ち葉をガサガサさせて土塁の背後から来られたので失礼ながら熊に遭遇したのかと一瞬緊張しましたねぇ、こんな藪城で人に遭う事なんて滅多にないもんですから。
主郭は一旦パスして、浄福寺城の西側尾根「5番」方向(搦め手方向)を目指します。
「4番」主郭背後の大堀切、もとい巨大堀切。
更に尾根道を西に進みます。
急に視界が開けました。
「5番」の搦め手尾根の堀切を城外側から撮影。
この堀切1本だけがポツンと城本体から離れた尾根沿いに掘られています。
堀切と書きましたが実際は尾根上に設けられた崖線(切岸面)に近いです。
城外に駆け降りるのは容易でも内側に入り込むには困難と言う造り。
防衛というよりも背後の警戒線といった所でしょうね。
眺望が良いので八王子城方面を撮影。
どのピークが八王子城の主郭かは不明ですがこの距離ならば両城の様子は互いに確認が容易でしょうね。
改めて 主郭内部にお邪魔します。 主郭内部は2段式になっています。
2段目の中央に祠があるので、ここが浄福寺城の中心という事ですかね。
「6番」辺りになります。
主郭から「4番」の大堀切をのぞき込んで撮影。
では、主郭を後にして東側支尾根群に移動します。
画像は主郭と支尾根を遮断する「7番」の大堀切。
岩盤をくり抜いて造られた大がかりなもの。
堀切を渡り振り返って撮影。
主郭側との高低差がかなりあります。 ルートも堀切をそのまま降りるので結構危険。
東側の尾根はどのルートから主郭を目指してもこの大堀切を通過しなければなりません。
その分、防禦も厳重なんでしょう。
堀切から斜面を並行移動しまして南南東に延びる支尾根へのルート?を辿ります。
? が付くのは踏み跡が消えかかって正式な道か判断つかない為。
ほどなく踏み跡は完全に消滅。
この後、無理やり進めば尾根に出るかと進軍を強行したのですが、バランスを崩して1m程滑り落ちた所で心が折れました。
幸い、咄嗟に枝を掴めたので滑落しませんでしたがかなり危うかったですねぇ~ここの支尾根は潔く撤収です。
気を取り直して北の支尾根緑丸ポイントを目指して尾根道を進みます。
こちらは途中にある「8番」の大堀切。
実は、この大堀切はただの堀切ではない、と思えてならない点があります。
大堀切の奥(攻め手から見て)に小堀切を伴っている点に注目して下さい。
小堀切の淵から大堀切方面を見た様子。
位置関係を画像に加筆。
大堀切から10m程度バックした位置にわざわざ浅い堀切を設ける意図を少し考えた所
私的推測はこうです。
これは同地点でしゃがんで撮影した画像。
実はこの小堀切の際に低土塁が付属してます。
この土塁線に火縄銃隊を配置して、大堀切をよじ登ってきた攻撃側を射撃した陣地ではなかったのかと。
土塁はしゃがみ姿勢で銃口を載せるに丁度良い高さですし、万が一大堀切を突破されても手前の小堀切で敵の突進を一時食い止めて奥に退避も可能でしょう。
大堀切から身を乗り出して堀底の敵兵を槍で突いたり矢を射かけるような危険を伴う戦い方よりも遥かに安全に思えるのですがいかがでしょうか?
さて、大堀切を過ぎて更に尾根を北に進み 尾根先端部の緑丸で印した技巧的エリアに向かいます。
こちらは緑丸の中心部「9番」の小郭内部の様子。
藪が酷く写真映えはしませんね。
ほぼ円形の郭で内部は10人も入ればせいぜいという規模、 東側のみに邸土塁が巡らせてあります。
縄張り図でお分かりでしょうが、堀切や竪堀群等が大規模かつ複雑に配置された重点防禦域でありながら、まとまった平坦部を持つ郭はここだけなんですね。
つまり想定される守備兵は極めて少数であったはずです。
この小郭は北側支尾根と北東支尾根との結節点にあたり、真っ先に攻勢に晒されたと思われます。
北側 尾根続きのラインは2重の大堀切で厳重に遮断されてます。
2重堀切の外側から「9番」の小郭を見上げて撮影。
この地点からは2重に見えない所がいい感じじゃないですか。
こちらは「11番」付近の畝状竪堀群。 妙に丸みを帯びた仕上げ方が特徴。
「9番」の小郭からは北東側支尾根の根本になります。
浄福寺城2 に続きます。