黒川金山跡1 の続きです。
今から10数年前、歴史好きではあっても今のように史跡や城跡に足を運ぶ趣味を持っていなかった頃。
その時は今回とは逆の西側から鶏冠山に登った為、時間的に足を延ばすゆとりがなく訪問せずに帰りました。 が、
以来ここ黒川金山は常に頭に残ったまま気になる存在で有り続けました。 でも結局は行かずじまい。お城に出掛けるようになっても変わらず行かないまま。 場所が何かの「ついで」に立ち寄れる場所でもないですしね。
今回、思い切って出かけた当日は春の日曜日で快晴と、絶好の行楽日和ながら道中すれ違ったのは二人組の登山者1組のみ。
鶏冠山を目指すなら一般的には山の反対側から登るんでしょうね。
すれ違う際に挨拶を交わし、鶏冠山山頂へは行かずに金山跡が目的だったと答えた所 「鉱山跡はなにもないのに・・」と、かなり不思議そうな顔をされてしまいました(笑)
「なにもないよ~」という言葉は城跡に行く時にも良く言われるのでもう慣れてますが。(そんな事はないでしょ!という言葉をぐっと抑えつつですが)
金山跡は登山道からではごく限られた範囲しか見られないので そう感じるのも無理はないでしょう。
さて本題に戻ります。
これは平坦地に建つ黒川金山跡の標識。 右奥からは黒川金山循環歩道ですが、現在崩落の為に入口は虎ロープで通行止めの措置が取られています。
駄目と言われても・・好奇心には勝てず少しだけ虎ロープの先へお邪魔して撮影。
どこまで続くのか 視界いっぱいに広がる石積みの遺構群。
苔をはらませて幻想的な雰囲気を演出しています。
恐らくはテラス状遺構の法面から崩落した石なんでしょうね。
こちらは標識のある平坦地脇にあるすり鉢状遺構。
規模は直径2m、深さ1m程度。 露天掘り採掘の跡ですかね、採掘の工程はちょっと判りませんので穴の用途は不明です。
循環歩道を諦めて沢を渡って鶏冠山山頂方面を目指します。
木橋を渡るとここにも石積み遺構。 この辺りの保存状態は良好。
尾根筋を段々なテラス状遺構が続きます。
単純な段々形状ではなく、所どこには露天掘りの跡があったりとかなり複雑な地形。
段々は生活の場としてもその脇で採掘? それとも年代が異なる遺構が混じっているのか?
先の石積み遺構を裏側から撮影。
直径は3~4メートル程度、すり鉢状採掘跡が残ります。
今は、自然が復活し森林に埋没しつつある遺構ですが、採掘が盛んな当時とは景観はまるで違っていたでしょうね。
岩が二つに割られてたり。
もう少し登ると自然地形に戻ります。
何と言いますか、凄まじい生命力を感じさせる木、岩を掴んで割って成長してますよ。
登山道は切通しのような地形を通り抜けます。
ハイキングルートの整備でここまでの土木量は投下しないでしょう。
これ、大菩薩峠へ至る古道じゃないですかね。
黒川金山循環歩道が再び合流します。
こちらの入り口も虎ロープで規制されてます。
が どうですか? 見た感じで歩道が危険とは思えないですよね。
危ないと感じたら引き返せばいいか、という事にして循環歩道を進みます。
しばらく進むと岩に潰されたフェンスに遭遇。
坑道跡が崩落して循環歩道は立ち入り禁止措置が取られたのでしょうね。 崖面は今にも崩れそうでいかにも危ない。
探索はここまでにして車まで戻る事にします。
帰り道、行きには見落としていた遺構を発見。
ここは最初に遭遇した沢沿いのテラス状遺構の対岸です。
沢の枯れている所を探して対岸に移動します。
見事な石積み遺構群、横穴を伴う遺構が幾段にも続いています。
上の方にもテラス状遺構が続いているようなので登ってみることに。
登った先にはかなり広い平坦地があります。
この辺りの石積み遺構は全体的に保存状態が良く、中世期というよりも近世の遺産になるのかも知れません。
穴の穿たれた岩。ここで金鉱石をすり潰していたのか?
そしてまた謎の横穴。
今でこそ樹海にひっそりと残る石積みですが、かつてはここが黒川千軒と呼ばれるほど賑わっていたんですから解らないものです。
平坦地の先に残る、謎の地形。
何故火山のように山頂が窪んでいるのか?
残土のボタ山にしては火口状の穴が不可解。
火口?の内側は丁寧に石積みで補強した跡があります。
火口?の淵に残る白い砂。
これは採掘の時に生じた岩屑でしょうかね、ではやっぱりボタ山なのか?
謎の火口?から更に奥まで足を延ばします。
登山道から益々離れていくのが少しばかり不安ですが好奇心の方が勝ってしまいます、危ないですね。
奥の方は居住地跡に思えます。
方形に石積みが残っていたり、建物跡ですかね。
斜面に幾段もの石積み遺構が織りなしています。
下段へ降りる動線が虎口状に折れを設けられています。
貴金属を取り扱う以上は何らかの襲撃にも備える必要があったのでしょうか? と勝手に想像してます。
3段程降りてから振り返って撮影。
なんかいい雰囲気でしょ。
更に下には大型のテラス状平坦地がありますが、降りる所が見当たらないので ここで本当に戻ることにします。
こちらは黒川金山の全体見取り図。
1で紹介したPDF「甲斐黒川金山」資料末尾掲載を借用してます。
当時は斜面一帯が開発されていた様子が判ると思います。
この他に尾根北側に「女郎ゴー」と呼ばれた平坦地、南側には「寺屋敷」と呼ばれる地名も残り全体ではかなり広範囲に開発されていたようです。
「女郎ゴー」は心霊スポットとして一部では有名な「おいらん淵」伝承の元ネタにも思えます。
そしてこれが今回歩いたルートを加筆したもの。 オレンジ線が行き、赤線が帰りに立ち寄った遺構群。
2時間近く金山跡を歩き回っても見られたのは全体のごく僅かというのが判ります。
全て堪能するにはテント持参で現地に泊まり込む覚悟が要るでしょうが・・それはちょっと危険というもの。
「黒川金山跡」誰にでもお勧めという万人向けの史跡ではありませんが、興味のある方には堪らない遺構が残っています。 山道を歩いて行くだけの価値はあります。
今回のタイムスケジュール
8:50林道入口 ~ 9:20沢渡り ~ 10:50黒川金山標柱到着 ~
12:30帰路 ~ 13:50林道入口
所要時間 5時間(休憩多め)