ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

茂木城 (栃木県 芳賀郡茂木町)1

茂木城

 
訪問 2017年 9月
 
駐車場 有り
案内板 有り
 
 栃木のお城シリーズ4城目は茂木城です。
 普段は辺鄙な城跡ばかりを選んで出没する天邪鬼な性格なのですが今回は珍しく大型物件? の紹介になります。
 
 茂木と言いますと私などは短絡的に「ツインリンクもてぎ」を連想するのですが実はお城も立派な物を持っています。
 茂木の市街地は平野から少し丘陵地帯に入った小盆地に位置しますがその背後の小高い山上に茂木城は築かれています。
 現在の茂木城跡は城山公園として整備され山城でありながら通年の訪問が可能です。
 
 
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 茂木城 主郭切岸と堀跡
 
場所は以下のURLを参照して下さい。
 
 

 
 茂木城の特徴を一言で表現するなら、山城でありながら広大な平坦地を確保している点でしょうか。 麓からは想像もできない程の城域を誇り、いわば山上の平城と言えるでしょうね。
 
 
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 現地の縄張り図を掲載します。詳細は図を拡大してご覧ください。
山上まで車で登れるので訪城は極めて容易です。今回は主郭に隣接する第三駐車場を利用しました。 
 
 
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ウロウロ見て回ったルートを加筆。矢印の順番に画像をアップします。
 いつもなら城の外側から巡るのですが、今回は駐車場の前に主郭があったので通常とは逆回りで散策しております。
 
図左上の解説を書きだします。
茂木氏と茂木城

 鎌倉幕府の有力御家人八田知家は、奥州藤原氏討伐の際の功により、源頼朝から下野国茂木郡を賜り、三男知基をしてここを守らしてたのが建久三年(1192)である。
 知基はこの地の桔梗山に城を築き茂木氏を名乗った。

 以降400年16代に渡り茂木氏の居城となり、慶長15年(1610)細川興元によって廃城になるまで続いた。
 茂木氏は武勇の士として知られたが、特に南北朝時代には大いに武名があがり歴史の中に度々現れる。
 その間二度にわたり落城している。
 
 徳川氏の時代になると、佐竹氏と共に秋田へ転封になり茂木氏の時代は終わった。
 細川忠興の弟興元は茂木を領するや、城下の盆地に陣屋をつくり茂木城を廃した。
 
 その後茂木城跡は耕地や山林として利用されたが、空堀や土塁、池などの戦国時代の山城の戦略的な機能はそのまま保存されており、茂木町の誇れる文化財となっている。
ざっくりした説明ですが 書き写すのは骨が折れます。
ここでは説明を省いていますが、戦国時代の茂木氏は常陸国の雄である佐竹氏の部将として活躍しております。 
 
 
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てさて、説明は終わりにして城の紹介に移ります。
 車から降りるとまず目に飛び込むのが芝生広場のような広大な平坦地。
縄張り図では「千人溜」と表記される郭になります。1000人といわず全軍収容できそうな広さです。
 画像中央の植え込みで囲われた窪地が「溜池」跡になります。
 
 
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千人溜も気になりますが、今回は早々と主郭を目指す事にします。
 主郭はまるで独立峰のようにここだけ切り立った切岸によって他の郭とは区切られています。
 
 
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階段の途中から千人溜方向を撮影。切岸面は5m以上あります。
 城としての機能を保持し続けているかのような角度の鋭さはちょっと驚異的です。
 
 
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そして主郭内部にお邪魔します。 
 此方も広大な平坦地,郭内部も良く均されていますが児童公園のような遊具がどうも城跡公園とはミスマッチのような気がするのですがどうなんでしょうか。
 
 
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 周囲には土塁も残ります。
 
 
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土塁際から下方向を撮影。 切岸下部には木道が縦貫する堀跡が並行して普請されています。かつては水が湛えられていたのかも知れませんね。
 
 
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土塁際から千人溜方面を撮影。
 ここから足元に居並ぶ軍勢に激を飛ばしたら血が沸き立ちそう・・・
 
 
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主郭土塁は西側のみが高さと厚みを増して造られています。
 
 
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その高土塁から主郭内部を撮影。
 
 
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こちらは主郭土塁から撮影した西側の小郭。
 支尾根からの侵入に備えた郭と思われますが主郭とは鋭い堀切によって完全に遮断されています。
 彼方に見えるのは麓の茂木市街地。
 
 
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此方は主郭南側から撮影した茂木市街地。
 麓とは本格的な山城と言ってよい程の比高差がありますね。
 
 
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主郭から降りまして、先ほど撮影した地点を見上げた様子。 先に触れましたが木道は堀跡をなぞって造られています。
 土塁に沿って桜が植えられているようで春先はさぞかし風情があるのでしょうね。
 
 
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木道を進みますと主郭と2郭を隔てる堀切の手前で右に折れます。
 堀切の手前に主郭から一段降りた小郭が控えているのが判ります。堀切を目指す輩を跳ね除ける仕組みでしょう。
 
 
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木道を進むと2郭脇にある「鏡が池」と呼ばれる水源に辿り着きます。
 この池にも逸話があるようでして
鏡が池

 桔梗城の中心部にあるこの池にも長い歴史が秘められている。
戦い利あらず、武士達が籠城の折りには池の水は生命水となった。
 またある時、城主に美しい姫君が誕生。 ところがその姫が流行り病に罹り酷い痣が残ってしまう。
 殿はそれを哀れみ城内の鏡を全て処分させる。 しかし後日姫がこの池の水面に自分の顔を見て驚く。 そして悲嘆のあまり池に身を投げてしまう。
 人々はこの池を鏡が池と言うようになった。  
 とう事らしいです。
 でも、あちこちのお城の池やら井戸には頻繁に姫の悲劇的なエピソードが登場するので、これもその内の一つでは・・と感じてしまうのは心が曲がっている証拠かもしれません。
 この解説では城名が茂木城ではなく「桔梗城」とされています。個人的には桔梗城の方が詩的な響きがあって好みですね。
 
 
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反対側から鏡が池を撮影。 
右手切岸上は2郭になります。郭内部は鬱蒼とした植林地になっています。
 
 
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登れそうな所が一か所ありましたので、早速2郭にお邪魔することにします。
 
 
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そしてこれが2郭内部の様子。 遺構の状況はよく判りません。
 ここの植林地は何故か下草の繁殖が激しい為に内部散策を断念し引き返すことにしました。
 
 
茂木城2 に続きます。