ちょっと山城に (正規運用版)

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韮山城 (静岡県 伊豆の国市)1

韮山城

 
訪問 2018年 2月
 
駐車場 有り
案内板 有り
 
 毎度、ご無沙汰の更新です。
今回から箱根山塊の西方に位置する後北条氏 韮山城の紹介です。
 
 韮山城後北条氏が領国に張り巡らせた支城網の中でも八王子城鉢形城と並ぶ地域拠点級城郭の一つに挙げられます。
 
 後北条氏の領域を見ると、主城である小田原城は西に著しく偏った位置にある為、韮山城はその背後を守る重要な支城になります。
 
 また、小田原城領有以前の後北条氏の主城であり、この韮山城こそが後北条氏の関東制覇の出発点とも言えるでしょう。
 
 
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                       韮山城 土手和田砦 畝堀
 
場所は以下のURLを参照して下さい。
 
 

 箱根の手前、関八州の入り口、伊豆半島の付け根、 そんな絶妙な位置に韮山城は築かれています。
 
 前に紹介した堀越公方館が近隣にあったのも、そのような意味合いもあったのでしょうかね。
 
 
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 こちらは本丸付近にある 韮山城と周辺の案内図。
 ちなみに図の下側が北方向です。
 
 韮山城の概要としては「現在位置」のある主要部と 背後の天ヶ岳の各支尾根と山頂に築かれた城砦群に別れます。 
 
 韮山城主郭部は現在、西側を防衛していた堀を失った関係で平地に飛び出た小島のように頼りなく見えてしまいます。 
 正直な感想としては韮山城ってこれだけ? と思えます。
 
 天ヶ岳は、各支尾根の先端部に強力な火点(砦)が築かれて山体全体が要塞化されてます。
 例えていうならば ヒトデ状の遺構群。
 
 韮山城主要部もそのヒトデの腕?の一本に思えてしまいます。
 
 さて、妄想はその位にして案内板に付属する解説を抜粋し韮山城の紹介とします。
韮山城の立地と構成

 韮山城は中心となる「①本城(主郭部)」と、天ヶ岳(テンガタケ)に配置された「砦」によって構成されています。 ※加筆オレンジ丸
 更に、周囲には豊臣秀吉軍の「陣城」があります。

本城」
 
本城は龍城山(リュウジョウサン)とも呼ばれる細い尾根上にあります。
尾根の長さは約400m、幅は約100mです。
 
 北から「三ノ丸」・「権現曲輪」・「二ノ丸」・「本丸」の4つの曲輪が直線的に並び、本丸の南にも小さな曲輪があります。
 
 現在地が本城最高地点で、標高は約42mです。 周囲の低地部との比高差は31mあります。
 
 本城まわりの低地部分には、幾重にも堀が廻っていました。
 
 現在 ②県立韮山高校 のある一帯には、「御座敷」・「大手」などの小字名が残っており、城主などが住んでいた場所であったと考えられます。
 
 また、韮山中学校 と④城地 付近は、当時も湿地が広がっていました。
 まわりには家臣や職人の住む屋敷が集中していたようです。

「砦」

 天ヶ岳は、南北約1100m・東西約700mの山体で、山頂部の高さは128mです。
 
 山頂部に「⑤天ヶ岳砦」、北東と南西の尾根末端部に「⑥江川砦」・「⑦和田島砦」・「⑧土手和田砦」 が築かれています。 
 各砦と山体との間には、砦の独立性と防禦性を保つための深い堀切をみることができます。

陣城

天正18年(1590)、韮山城豊臣秀吉軍に囲まれますが、その時に豊臣軍が築いた陣城である「⑨太閤陣場陣城」・「⑩本立寺陣城」・「⑪追越山陣城
・「⑫上山田陣城」・「⑬昌溪院陣城」 の跡が西側の山中に残されています。 ※加筆 赤丸
 最後の陣城の所
秀吉軍は山中城八王子城のような力攻めをせずに、包囲戦を展開した訳です。
 
 詳しい城の歴史については スイマセン割愛します。
 
 興味のある方は地元伊豆の国市の㏋をご覧ください。
 詳細な発掘データや縄張り図も掲載されてます。
 
 
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案内図に今回辿ったルートを加筆しました。
 
 オレンジが今回の韮山城主郭部の順路。
車は城池沿いの公園駐車場を利用させてもらいました。
 
 赤線は次回以降の天ヶ岳砦群のルートです。
 
ヒトデのように支尾根を伸ばす天ヶ岳の砦群を全て制覇するつもりで突入したのですが、予想よりも大幅に時間を消費していまい限定的な見学となっております。
 
 
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1の駐車場から城池越しに見た韮山城主郭部。 
ここからスタートします。
 
 湖畔は釣り人で賑わってましたね、釣り禁止の看板がありましたが・・・装備からしバス釣りとみましたが、誰かが無許可で放流して勝手に繁殖した例ですかねぇ。
 
 
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2の辺り、池に面した斜面から見える堀切。
 韮山城主郭部と天ヶ岳とを繋ぐ尾根筋を断ち切っています。
 他にも小規模な郭が残ります。
 
 
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3の辺り、池の堰堤付近の様子。 対岸の丘陵は江川砦(今回未訪城)になります。
 画像の背後から韮山城主郭へ登る虎口があります。
 
 
 
所で、韮山城の警備は現在でも厳重です。
 
 
 
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さっそく 鋭い目つきで詰め寄られます。
 
 
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撫でてあげないと解放してくれません・・・
 
 
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動くのでアングルに収まりません。 すまんね、餌は持ってないんだよ
 
 
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警備隊の駐屯地付近にある韮山城の案内板。 
 
 古い見取り図には主郭部を囲む水堀が描かれています。
 あと城池も描かれてますね、只のため池かと思ってましたが城が機能してた頃から現役なんでしょうね。
 
 これだけの水を豊富に蓄えていたら籠城戦ではさぞかし心強かったでしょう。
 
 
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ささっと虎口を登らずにまずは主郭の外周部を見る事にします。
こちらは4辺りの水堀跡。 
 切岸の上は2ノ丸になります。
 
 
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反対側のアングルからもう1枚。
 
 
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ぐるっと回るうちに韮山高校の手前までやってきました。
 
 
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講道館の石碑の背後には池があります、恐らくは水堀の名残でしょう。
 
 
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3に戻りまして虎口から主郭部を目指します。
 虎口の動線は坂道をぐーと登って途中で右へ90度ターンします。
 
 
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ターンの先から振り返って撮影。
画像正面上のお社は権現郭の熊野神社。 90度ターンして進むと背後のお社辺りからの攻撃を背中に受けることになります。
 
 
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こちらは登った先の二ノ丸内部の様子。 
 韮山高校のテニスコートとして利用されているようで内部には入れません。
 
 
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幸いにも周囲の巨大土塁は見学できます。
 
 
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こちらは二ノ丸の隣、権現郭の様子。 
 権現郭には熊野神社が祀られています。
 
 
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お社は土塁線の上にあります。 大きい土塁ですが郭の内部は狭い。
 
 
 
 
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お社背後から登ってきた虎口を撮影。  
 高低差が凄まじい、さすが北条氏の拠点城郭。
虎口を登る侵入者は丸見え。
 
 
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更に主郭部を目指します。 
 
 
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途中で見えた韮山高校のグラウンド。
 かつてはこのグラウンドと校舎を貫くように2本の水堀が巡らされ韮山城主腰部西側を守っていました。
 
 
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主郭手前の堀切と土橋。 
 
 土橋・堀切・虎口 どれをとっても相当な土木量を投下して築かれています。
 
 しかし地山の狭さはどうしようもなく、各郭の広さは他の拠点城郭と比べてかなり狭い印象を感じます。
 
 水堀が有った頃は平地部も主腰部に取り込んでいたはずなので 今とは印象が異なるかもしれませんが。
 
 
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真新しい幟旗。
 早雲公の知名度でどこまでの観光客が誘致できるのか? 
 
大河ドラマ後北条氏やってくれないですかね? 
 
 そうすればもっと活性化すると思うのですが、いつも小田原城に引き籠もる脇役・・・そんな扱いはもうちょっとなんとかならないものでしょうか。
 
 
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ここが韮山城主郭部の中枢である本郭。 やっぱりここも狭いですね。
 
 
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本丸より南側の小郭(塩蔵)方面を撮影。
塩は火薬つまり硝煙の事じゃないですかね?
 
 
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そして冒頭にあげた付近の見取り図はここにあります。
 
 
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主郭から撮影した天ヶ岳砦
 
 
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塩蔵に接近して撮影。 
塩蔵は開口部のある方形の土塁で囲まれた狭い郭。
 
 
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ここが塩の蔵じゃなくて弾薬庫ならこの土塁の形状も納得。爆風除けじゃないですかこの形は。
 
 
 
主郭部は以上です。
 
 堀や虎口の造作は規模が大きく さすが拠点級の城郭と言った造りですがやはり狭いです。
 あっと言う間に見終わってしまいます。 
 
 
 次回以降は天ヶ岳砦群の紹介となります。
 
こちらは、整備された主郭部と違い中々にハードな道のりになります。
 主郭部が一般向けの紹介ならば天ヶ岳部はマニアお勧めのルートになります。
 
韮山城2 に続きます。