ではでは 韮山城1の続きと参ります。
ここからは主郭部の奥に控えます天ヶ岳の砦群の紹介に移ります。
良く整備された主郭部とは一転して本格的な山城スタイルの遺構群が続きます。
と言う訳で、天ヶ岳に訪問する際の諸注意です。 偉そうですが・・
山中には案内板や標識の類は一切ありません。
整備状況はかなり悪く一部道が消滅してます。
白っぽい土(砂状)の山土がよく滑ります。崩れ易いので滑落に注意と共に遺構の保護の為、慎重に歩いて欲しいですね。
それなりのトレッキングスタイルでお願いします。
色々書きましたが再び登場してもらいます現地案内図。
城池親水公園の「園」の字の脇に加筆しました 1 からスタートします。
この切通(旧堀切)の脇から天ヶ岳の尾根道が続いてます。
ここ、ご覧のように何の案内も出てません。
間違って観光客が足を伸ばさない為、 目立たせない措置が取られているのでしょう。
ちなみに堀切を抜けると韮山中学校のグラウンドが見えます。
そして その向こう画像正面に見える丘が「土手和田砦」(今回の最終訪問地点)
ひとまず尾根道を登ります。
いきなり道は荒れ放題、斜度もかなりあって低山とはいえ侮れません。
特にキツイ箇所にはロープが張られていますのでこれを掴んで先に進みます。
滑り止めの付いた手袋があった方がいいですね。
うんうん言いながらしばし登ると 2 の地点に到着。
ここは絶景ポイントで城池と韮山城主郭部が一望できます。
主郭部が丸見え、 だからこそ天ヶ岳は韮山城の城域に取り込む必要があったという事でしょうね。
ビューポイントは尾根上を削平化した狭い郭です。
2の地点から天ヶ岳山頂を目指さずにまずは3の方向、東側尾根を目指します。
転落防止用のロープが小枝に結わえてあります。
当然、ロープに体重を掛けると滑落しますのでご注意を。
この尾根は途中で二股に別れ一方は江川砦(今回未訪問)に向かいます。
そして目の前に現れる大堀切。 3の辺りです。
尾根筋を断ち切るその規模もさすがですが、特筆すべきは人一人が通れる位の土橋を渡してある点でしょう。
画像ではちょっと木が邪魔してますが・・・
反対側から見上げるとこのようになっています。
一列縦隊で直進するしかない絶妙にいやらしい幅を残してます。
4の辺り、大堀切の先にある小郭。
この尾根筋を削平化した郭から江川砦へ延びる支尾根が分岐してます。
郭の際には石積みの名残があります。
往時の天ヶ岳砦は石積みを随所に巡らせた城砦であったのかも知れませんね。
尾根をそのまま下ります。
尾根沿いに造られた小郭と小規模な堀切を幾段から下ります。
次の大堀切を下りますと 途端に道が曖昧になって来ました。
いよいよ怪しくなって来ましたのでここで引き返します。
振り返って 大堀切を撮影。
もう土の壁 と言う位に絶壁。 この大堀切は5の辺りにあります。
こちらは 6の辺り、 天ヶ岳の山頂部になります。
削平化されてますが大変狭い郭。
西側の 「和田島砦」「土手和田砦」へ延びる支尾根側にのみ背丈程度の土塁が巡らせてあります。
土塁の上にある標識。 これは三角点じゃないですよね
山頂土塁からの眺望。
手前正面の丘陵は和田島砦
山頂部土塁の全景です。
この白っぽい土、と言いますか砂ですか? 専門的には何と言うのか判りませんが サラサラして崩れやすく厄介です。
天ヶ岳山頂を後にして 南側の尾根を進みます。
こちらは 7の辺りにある大堀切。
やはり人一人通れる幅の土橋を残してあります。
更に尾根道を進み 小ピークを目指します。
小ピークには小さい堀切があります。
小堀切を反対側のアングルから撮影。
助走すればジャンプで越えられる程度の幅。
そして小堀切の先 5m程には断崖絶壁とも言える切岸地形が控えています。
降りて切岸を見上げ撮影。
この小さい堀切の先に大きな障壁という組み合わせ、 以前紹介した八王子市の「浄福寺城」にもありました。
この辺りから2つの城の共通性と言いますか、同じ設計思想を元に築城されたような気が(妄想)し始めております。
各支尾根の先端に強力な防衛拠点を設ける方法も同じですし。
まぁ専門家じゃないので所詮は想像、妄想の域です。
さて、更に尾根道を進みます。
こぶ状の連続小堀切群を抜けます。 これ、防禦に貢献してるのですかね?
8 の小ピークに到着。
支尾根側のみに低土塁を伴う小郭が設けられています。
下って振り返り撮影。
更に尾根道を下ります。
尾根上がそれなり広く平らなのは韮山城往時のものでしょうね。
これは9の辺り。
斜度のある尾根上に竪方向に築かれた土塁線です。
幅のある尾根の真ん中を間仕切ってますが、この意図がちょっと判りませんでした。
麓の近くまで降りてきたので ここで天ヶ岳山頂へ引き返します。
韮山城3 に続きます。