真田氏本城
訪問 2017年 7月
駐車場 有
案内板 有
前回掲載しました真田氏館を後にし次に訪問したのが「真田氏本城」跡になります。
尾根の先端を削平して築かれた小規模かつオーソドックスな縄張りを持つ山城で、どちらかと言えば城郭マニア向けの城跡になると思うのですがここ、「真田の本城」を名乗るだけあって観光客が比較的多い遺構です。
城へは県道4号沿いに大きな案内板が出ており、道案内に従って登れば最近拡幅したと思しき駐車場に辿り着きます。
駐車場の脇には真新しいトイレも完備しており観光地として申し分のない整備がなされています。
本郭外側の土塁跡
場所は以下のURLを参照して下さい。
真田氏館の記事でも使用した訪城済み城郭の位置関係です。
真田氏本城と真田氏館は距離的にさほど離れていません。
現地の解説板の内容を掲載します。
真田町指定文化財解説板の最後の一行は結構重要に思えてなりません。
史跡 真田氏本城(真田山城)跡
昭和47年4月1日 指定
この城は、松尾城、住連寺城、十林寺の城山などとも呼ばれます。
真田氏館跡や原の郷(本原一帯)へと続くなだらかな南斜面には何段もの広い段郭を連ね、他の3方は急斜面ですが、要所に細長い段郭を配置して厳重な備えとなっています。
この山城は、真田町内の他の山城に比べて規模が大きく防備も複雑で、上田盆地への眺望も開け、眼下に小県と北上州を結ぶ上州道を押さえ、熊久保集落の上方の沢から山腹を回して城内近くまで水を引いていることなどの特徴があります。
こうしたことから、町指定文化財名は、真田氏の本拠にふさわしいとして真田氏本城跡としました。
「真田氏本城」と言う名付けの根拠が「この城跡が本拠地としてふさわしいのでここが真田の本城に決めた!」と、そんな軽いのりで決めて果たして良いものか・・そんな疑問がふつふつと湧いてきます。
と、言いますか城跡を見ての個人的な感想は、ここは決して本城とか本拠地と呼べる城郭遺構ではないです。
では話を元に戻しまして、お城の解説です。
ここが入口にある駐車場。かなり広いスペースが確保されています。
駐車場の先は広々した芝生広場の様相を呈しています。
この辺りには城跡の雰囲気ははっきり言ってありません。
先の画像に少し写っている周辺見取り図を掲載。
こちらでは城の名前は松尾城ですね。
図には隣の尾根に築かれた「天白城」(未訪城)と左上には「真田氏館」があります。
真田氏本城は細長い本郭・2郭・3郭、とその外側の芝生広場?から構成されているようです。
堀切跡と案内の有る箇所。 言われてみれば堀切に見えなくもないですかね。
解説文でにもありました段郭が構築されております。
この辺りまで城域に含めると真田氏本城は漏斗のような形をしていた事になります。
丁度漏斗の口の広い所にあたるこの芝生域はこのような緩斜面で守り難い地形。
此処まで城として取り込むのは防衛ラインが長くなり余り具合がよろしくないように思えます。
芝生広場を進み尾根がぎゅっと絞まる地点に大きな土塁が見えてきます。
ようやく城跡らしい雰囲気です。
土塁を過ぎるとこの様に幅の狭い郭が縦に3つ並びます。
城跡と呼べるのはこの3連の郭部分だけじゃないでしょうか。
先の土塁を振り返って撮影。
真田氏本城ではっきりと残る城らしい防衛線はこの土塁だけ。
3連の郭の境はこのような段差のみで先端に向かって下がります。
各郭の比高さはこの位、1メートル強と言った所でしょうか。
一部石段が残りますが残りますが虎口というよりも只の階段でしょうかね。
防衛の為の段差というよりも元の地形の制約があって土塁から先の郭が3つに分かれているだけのように思えます。
腰郭の脇に残る石積み遺構です。見落とし易い位置にあるので注意が必要です。
先端部「3の郭」に到着です。 ここも細く狭い空間です。
その先は藪で全く様子がうかがえませんでした。
土塁の先の郭はどれも細く狭く、良く削平化されて平坦ではありますが大人数を想定した普請ではないと思います。
せいぜい先の土塁線を守れる人数しか想定していないのではないでしょうか。
所で、これは本郭に設置されている縄張り図と周辺の城跡群の掲示板です。
これも新しいので大河ブーム時に設置されたものなんでしょうね。
それはともかくこの掲示板の趣旨は、真田氏本城からは周辺の真田氏ゆかりの城跡が沢山見られるんですよ・・という案内なんですが、これが良くできてまして確かに周辺の城郭が一望できるのが良く判ります。
これは例の芝生広場辺りから撮影した「天白城」だと思います多分。
これが、前回掲載した真田氏館。
こちらが「根小屋城」「尾引城」「信綱寺」「打越城」方面。
この辺りは次回から一部アップします。
こちらは「砥石城」 有名なのにここも未だ行ってないです。
こちらは城の北東方面に位置する「松尾古城」
真冬に行って大変な事になった思い出深い城跡です。
これだけの城郭を見渡せる立地は既にそれだけで築城の地として合格じゃないですかね。郭から周辺の城郭を撮影しながらそう感じました。
もっとも「真田氏本城」が現役で使われていた時期にこれら全ての城が同時に活用されていたわけではないとは思いますが。
これは想像ですが、「真田氏本城」は隣の天白城とセットで機能していた城郭ではないでしょうか。
真田氏館の詰めの城としての天白城があるならば、その天白城の視界の補完用として隣の尾根に物見台の様な城郭を築いた・・そんな妄想を膨らませてしまいました。
真田氏本城の評価は 3 とさせて下さい。
長々と書いてしまいましたが、周辺の山城と比べて格段に訪城が容易です。
城はコンパクトでシンプルな縄張りですが郭から周辺の城郭を眺めるのが実に気分が良いです。
そういった立地を含めて評価をいたします。