高見城
訪問 2013年 5月
久しぶりに 比企の城郭群の紹介になります
今回は、お城と木工で有名な小川町北部にある 高見城です。
高見城 遠景
高見城跡は、 町の北東部に聳える独立峯・四津山の頂上に築かれた中世の典型的な山城です。
城址からは、北は荒川流域一帯、南は市野川筋を一望できる要害の地に築かれています。
市野川筋には 「旧鎌倉街道上道」 が走り、戦国時代 鉢形城と松山城の中間にあって、街道を抑える重要な役割を果たしたと考えられます。
-中略-
本城の築城年代や城主については不明な点が多いのですが、『新編武蔵風土記稿』 では長享元年(1487年)に没した増田四郎重富の居城と伝えています。
-以下略-
現地案内板より抜粋
この高見城も、築城者・築城年・築城意図が解明されていない城郭のようです。
現地本郭内の縄張り図を掲載
現在 四津山神社がある本郭より 尾根筋を利用して郭を構築するいわゆる連郭式の縄張りを持っています。
城へは 四津神社への参道からアプローチします。 尾根の東端部にあたります。
この辺りは 緩やかな勾配です。
ほどなくして 縄張り図右上の腰郭に到着。
ここにはお不動様が祭られています。
ここで道は迂回して2郭に登るルートと一気に本郭に至る二手に分かれます。
階段を一気に登ります・・・ ここだけちょっとキツイ運動になります
登り切った先の本郭の様子。
社殿の裏側に土塁が一部残っています。
本郭からの眺め。 麓から10分程度で登れる低山ですが眺望は抜群でした。
尾根沿いに進んでみます。
此方は 2郭の堀切り。 明瞭に残ってはいますがあまり深い堀切りではありません。
2郭内部から撮影した 虎口。
堀切りだけの縄張りかと思えば、手の込んだ虎口もあったりします。
内部へ侵入するには右手土塁奥から90度左に折れる必要があります。
2郭から3郭方面を撮影。
手間の狭窄地は土橋になると思います。
3郭内部の様子。 尾根筋の削平が不十分で 地面が斜めのままであったり、細かい段々が残っています。
3郭周囲には土塁の痕跡が残されていました。
高見城の評価は 3 とさせて下さい。
縄張りは 尾根筋に堀切りを設けて内部を郭とする大変オーソドックスな城郭ですが
一部比企郡らしい技巧的な虎口も設けられており、中々侮れません。
ただ 堀切りや郭面積なども含め全体的に小規模な城郭と思われたので今回は3にしました。