ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

武居城 (長野県 東筑摩郡 朝日村)

武居城
 
訪問2017年 5月
 
駐車場 有
案内板 有
 
 小ネタも終わり通常営業に戻ります。
武居城から長野編の城がかなり続きます、ひょっとしたら今年はもう長野編で終わるかもしれませんが、第一弾が「武居城」になります。
 
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 武居城 横堀と尾根を走る連続竪堀群
 
武居城の紹介ですが現地案内板の内容を掲載します。
 
長野県史跡 武居城跡

武居城の初めは鎌倉末期、洗馬の庄に新補地頭として入って来た三村氏が築いたと言われている。
 16世紀の初め頃、三村氏が本拠を芦の田に移すまではこの城が三村氏にとって最も重要な城であった。

 その後も城の改修が続けられ、現在の遺構は戦国時代末期のものである。
 城は三方からの尾根を二重の堀切で分断し、防禦を堅固にしている。
 堀切の深さや傾斜が大変立派である。

 また、西側の斜面には横堀の下に多くの竪堀がほられて注目に値する。
 各郭の保存状態も極めて良好で小規模な実に良くまとまった縄張りの山城で、戦国時代最末期の城の実態を見事に伝えている。
 
 なお、この城での実践の行われた記録は残っていない。
 
場所は以下のURLを参照して下さい。
 
 

 
 城の記述に関しても伝聞調の記述が目立つ事から詳細不明な城郭遺構と言う事でいいのではないでしょうかね。
 
 城の構造としては、北に向かって突き出す支尾根先端部を利用して築かれたコンパクトな山城になります。
 山城と言っても麓からの比高さは100m以下、城にたどり着く斜面の勾配も比較的緩く登りやすく要害性の高い地形とは言えないように思えました。
 まぁ、それを補うような発達した縄張りの妙技が最大の見所と言えるでしょう。
 
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 さて、早速武居城の紹介に移ります。
 武居城は麓を含めて公園整備がなされています。駐車場も完備されているので訪城は容易です。
 車ですと、県道292号(日本アルプスサラダ街道)を進みますと北側集落に武居城への案内がありますので其れに従うと、城のある城山西側の五社神社南側にある駐車場に辿り着けます。
 
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駐車場の様子。 
 
 
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 現地縄張り図です。
2郭から堀切を挟んで右側が山に至る尾根筋になります。基本的には堀切と横堀を駆使した防禦体制を築いています。
とぐろを巻いた帯郭も珍しいですね。
 
 
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 麓の公園の様子・・誰もいないです。
 
 
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 こちらが武居城への入り口。冠木門っぽいもので城らしさの演出をしています。
門正面の獣除けフェンスを開けてお邪魔します。
 
 
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門の右手にあるボックスには、訪城者用のノートと熊除けの鈴。
 6番をお借りしましたが、・・・こんな人里近くの山でも熊が出るって事ですよね。
 
 
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冠木門を過ぎると緩やかな山道になります。
 笹が・・多いのが判りますか? この武居城、とにかく整備されていない場所は笹&笹凄まじい勢いで繁殖して遺構を全て隠してしまっております。
 
 
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暫く登ると縄張り図③の横堀に辿り着きます。
横堀には切れ込みの入った土塁が伴います。 画像正面奥に横堀の解説板が設置されています。
 
 
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その解説文。
遺構の残存具合と、整備状況からしてこの横堀と竪堀が武居城最大の見どころかも知れません。 笹が刈り払われているので遺構が良く見えるんです。
 
 
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土塁の切れ目はそのまま竪堀になって斜面を垂直に落ちていますが、写真ではちょっと竪堀の様子は判り難いです。 この辺りの斜面は特に勾配が緩く山城としての利点が余りない感じですね。
 それだけに竪堀をしつこい位に落とし込む事で防禦の脆弱性を補っていたんでしょうかね。
 
 
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縄張り図⑤の二重堀切の様子。画像は外側の堀切から内側を見上げて撮影した所。
 まぁ、藪しか写ってないです。散策路から外れると一気に藪々になって何を写しているのか判らなくなります。
 因みに横堀③と連続する二重堀切の方です。
 
 
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⑤の二重堀切外縁部から城外部を撮影。 丁度支尾根の根本。
この支尾根が一直線に麓まで降りてましてしかも緩い勾配で幅も広い。防禦上の弱点であるのは明らか。
 
 
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さて引き返しまして、横堀から腰郭を経て主郭方面を目指します。
 
 
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登った先にある帯郭の解説板。
 
 
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 2郭内部の様子。 大堀切と接する郭部に土塁が伴っているのが判ります。
 
 
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2郭土塁付近から撮影した本郭の様子。
 2郭と本郭を隔てていた堀切は埋没した様子で現在はこのような緩い斜面になっています。
 
 
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土塁後方に控える大堀切を見下ろして撮影。 笹に覆われた堀切先の小郭とは比高差があるため余計大きく見える堀切。
 
 
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笹藪側から堀切を挟んで2郭を撮影。
 堀切の勾配角度がキツく降りるのは何とか可能でしたが戻るのがちょっと難しかったので
 
 
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堀切はそのまま竪堀として斜面に続いています。
この堀底を一旦降りて先の横堀まで戻ります。
 
 
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 再び戻りまして主郭を取り巻く帯郭を進みます。 笹で覆われた主郭切岸面ですが一か所だけ笹が刈り払われております。
 
 
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主郭内部の様子。 
 率直に言って特に特徴のない平坦地。
 
 
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主郭の案内板。
 開墾されたならば、仮に土塁があったとしても崩された可能性がありますね。
 
 
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つぶて石? の様子。投石には手ごろなサイズの石がまとまって転がっています。
 
 
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縄張り図の三郭へ繋がる道を探して散策路を歩き回りましたが・・・どうも入れないように道を整備してない様子。 
 なのでこの辺りから柵の先まで足を延ばす事にします。
 
 
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進みますと僅かに残る踏み分け道が笹で覆われて消えてしまっております。 笹の繁殖力は異常。
 
 
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更に進むと現れる三郭と主郭を隔てる大堀切・・の筈ですがほぼ「笹」しか写ってないですね。
 
 
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更に前進してお団子のような三郭を目指しましたが・・笹でどうにもならなくなりここで撤収です。
 

武居城の評価は 3 とさせて下さい。
 
技巧的な縄張りから武田氏の関与が示唆されている武居城ですが、笹が全てを覆い尽くさんばかりに状態には参りました。
 時期を選べば・・いや多分同じですかね、整備された横堀等は見ごたえがありますがその他の遺構の多くは入る事も困難な状況です。
 とは言えあれを全て刈り取るのは現実的ではないですよねぇ。
 そんな訳でして多少辛目の評価ですが土の城の遺構としては大好きな部類です。