ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

増尾城 (千葉県 柏市)

 
訪問 2015年 1月
 
駐車場 有(南側)
案内板 有(2廓内)
 
 今回の増尾城は、先に紹介した根木内城と同じく公園化されてはいますが、状況は全く異なり遺構が破壊から逃れ良好な状態を保っています。
 立地的には舌状台地を利用し、主廓・副廓のみのシンプルさではありますが、縄張り自体に技巧的な工夫が随所に凝らせており大変良いお城です。
 
 
イメージ 1
                            副廓土塁線より
 

 

 

 場所はこの辺り、根木内城から車で20分も掛りません。一緒に見て回るのがお勧めです。
 
イメージ 2
城南側 道路沿いに駐車場が完備されています。
 すぐ裏が副廓櫓台
 
イメージ 3
 現地縄張り図を掲載。
図左下が駐車場。 
 増尾城はコンパクトな城ですが侮れません。最大の見所は土塁線の折れ具合ですかね。
横堀への侵入箇所には必ず土塁の折れがあって、十字砲火が意識されていたことを窺わせられます。
 
イメージ 4
駐車場から公園内を覗くと早速現れるのが副廓櫓台。 威圧感があります。
 
イメージ 5
櫓台跡に登り 副廓内側を撮影。 土塁に囲まれているのが判ります。
 
 ここで増尾城の歴史について現地案内板を抜粋して紹介します。
 
増尾城跡

増尾城址公園の一角には、約500年前の戦国時代後半の築造形態を残す中世城郭が所在します。
 
 城跡の由来については、当時の資料が残されていない今、城主や築城の目的など詳しい事は判りませんが、大正11年刊行の「土村誌」には、土地ではこの山を「城山」と呼んでいたこと、同12年に編纂された「東葛飾郡誌」には、戦国時代、当地は、小金領にあり小金城(松戸市)を本拠とする高城氏の家臣平川若狭守が城主であったと推測されています。

 城址は、西側から東側へ突き出した小規模な舌状台地に立地し、南側眼下には手賀沼に注ぐ大津化わの分流が流れ、北側から東側にかけては緩やかに下る谷と険しい崖となり自然地形を取り込んでいます。
 
 台地廓面の標高は約20m、河川低地面は約9mで、高低差は約11mあります。
 廓の構造は、東西約130m、南北45~100mで東西に長い三角形状の縄張り構成となり、台地東端の先端部に三角状の主廓(I)と台地西側の方形の副廓(Ⅱ)が連続して並びます。
 
 それぞれの廓は、土塁、横堀(空堀)、切岸(壁)などの防禦施設で取り囲まれ、虎口が2か所設けられています。
 
 廓内の土塁の高さは2,5~3mあります。
主廓と副廓の北西辺の土塁が途切れない事、南西隅に大規模な張り出し櫓があるところが特徴とされています。
 
 以下略

 由来に関しては全て推測ですねぇ、高城氏やらの情報は一旦忘れれて先入観なしに城址だけを楽しむ事にしました。

 
イメージ 6
主廓・副廓をぐるっと取り囲む空堀を中心に見ていきます。
 ここは縄張り図左上にあたる副廓角の様子。
 
イメージ 7
北側の低地部から撮影。 かつての湿地帯の名残でしょうか。
  低地から一段登って横堀が設けられています。
 
イメージ 8
再び空堀を撮影。 
 
イメージ 9
堀底に降りて、主廓方面を撮影。 良く残っています。

 
イメージ 10
折れが良く伝わらないので、土塁上から撮影しました。
 土塁左側が空堀になります。 土塁が途中で左側にかくっと折れているのが判りますか?
 
イメージ 11
かなり念入りに空堀を紹介してますね。 土塁が張り出して視界を塞いでいるのが判ると思います。 張り出し部は横堀が北側低地と接続している箇所になります。
 
イメージ 12
こちらは主廓内の様子。 狭いですね。
 
イメージ 13
主廓先端から城南側を撮影。 比高差は中々のもの。
 
イメージ 14
主廓と副廓へ隔てる土塁。 空堀もセットで存在していた形跡がありましたが堀はほぼ埋まっています。
 主廓と副廓の比高差はありませんでした。
 

増尾城の評価は 4 とさせて下さい。
 
 増尾城は小さな城です、一通り見て回るのに30分も掛らないでしょう。
 案内板には城主の推定が書かれていましたが実際は無名の城兵が守る当時無数に存在した砦のような施設の一つではなかったのではないでしょうか? 
 それでいながら実に入念に組み込まれた土塁の折れの巧みさは素晴らしいですね。 
 最小限の工期と予算で 最大の防禦力を狙ったんでしょうか。
 そんな訳でして、小さな城址ですが個人的には好評価です。