ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

小坂城 (茨城県 牛久市)

小坂城
 
訪問 2015年 3月
 
駐車場   有
現地案内板 有
 
 今回は 単発で茨城県のお城を紹介です。
この小坂城、冒頭から結論じみてますが個人的には最高評価クラスのお気に入りの一つです。
 しかし見た目は大変に地味、関東平野によくある土の城の一つで石垣もなく建物も当時だってあったのかなかったのか怪しい位の実践的な城郭遺構です。
 ~何が一体いいの? と思われるかもしれませんがね、縄張りが面白くて興味深くて・・見てるだけでも飽きないですね。
 
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                         小坂城 空堀
 

 

 

 

 場所はこの辺りです。
車で行くしかない立地ですかね。でも車なら訪城は楽々。
 国道408号沿いにありますので比較的判り易いですね。
 
 牛久方面から国道を東に進むと、道は小野川沿いに細長く続く平地を川と並走して続きます。
 左手に洪積台地の崖端が続き、台地上の小坂団地入口の信号を過ぎたら次の丁字路に小坂城入口の小さな案内があり左折すると城に到着です。
 
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牛久方面から来るとここを左折です。 画像奥のこんもりした地形は小坂城本廓になります。

 この本廓は国道拡幅の為に道沿いの地形が一部削られています。
 
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団地の手前にある小坂城訪問者用の駐車場です、案内板もここに掲示されています。
周辺との関連まで含めてかなり詳しく書かれております。
 
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 こんな周辺城郭分布図まであります。 実に親切な分布図で次はどのお城に行ってやろうかなどと考えてしまいます。
 
ではここで現地案内板による小坂城の紹介を掲載します。
 
小坂城跡
小坂城と戦国期の牛久域

小坂城の城主は『小田家風記』に「岡見備中守」の名が記されている事から、現牛久域を領有していた岡見氏の一族と考えられます。

 岡見氏は、多くの径図の中で、小田氏から分かれたと記されています。
 室町時代の資料に登場する、河内郡岡見郷(現牛久市岡見町)の住人「南殿三郎朝義」は、岡見氏の先祖と考えられます。
 
 16世紀の初めの家督争いを克服し、小田氏は、周辺地域に領土を拡大してゆきます。
 そのため江戸崎城を本拠とする土岐氏と対立します。
 
 『新編常陸国誌』には、小野川対岸にある泉城(現竜ヶ崎市)の城主東条重定が、小田氏治と小坂の地で戦い、戦死した事が記されています。
 小坂城の岡見氏も、この戦いに加わっていたものと思われます。
 
 16世紀中頃、小田原の北条氏が本格的に関東に進出し、上杉謙信は北条氏討伐のために関東に出兵します。
 この地域の領主たちは、両者の狭間で難しい対応を迫られる事になりました。
 永禄12年(1569)、小田城を佐竹家に攻略された小田氏が没落すると、現牛久市域は、北条氏と佐竹氏との攻防の最前線となります。
 
 この頃の岡見氏は小田氏のもとを離れ、北条氏の配下で活動しています。
 やがて戦国期の岡見氏の本拠である牛久城には、北条氏から在番衆が派遣され、境目の領主である岡見氏の監視と牛久城の守備が強化されました。
 城を取り巻く周辺勢力の関係は詳しく書かれてますが、小坂城そのものについては・・余り書いてないんですよね、城そのものの歴史については不明点が多いのでしょうね。
 
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縄張り図といいますか現地案内図を掲載します。
 城の立地は関東平野ではよくあるパターンで、舌状台地の先端を利用した縄張りになっています。
 南側突き出した先端に本廓を配置し、その2方を囲むように2廓、その北側に馬出し状にある3廓、そしてその東隣に半ば独立したように4廓が配置されています。
 そして3廓西側は何故か平地にも関わらず城域に取り込まれていません。
 
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 こちらは実測図です。 堀も単純な直線ではなく所々折れ(青線のクランク部分)を設けてありなかなか凝った造りです。
 
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では、早速駐車場から小坂城に参りましょう。
 崖下の駐車場からデッキ階段が続いております。
 
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階段を上ると平坦地が広がりその正面奥に3廓の空堀が見えます。
この平坦地が城外というのが何とも防禦上問題がありそうに思えまして
 
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これが遠くに見えた3廓を護る空堀です。
 土塁もありますが、本廓側の空堀よりも小規模でガッツりと守るには少々心細い造りに思えました。 ただ、空堀線には折れを加えており工夫は凝らしている様子です。
 
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これはデッキ階段を登り切った地点から南に向かって撮影した、2廓・本廓側の空堀です。
 2廓をぐるっと巡るこの空堀が、小坂城では最も規模が大きく厳重な構えでした。
 画像左手奥に本廓~2廓を隔てる空堀が合流しています。 この堀は2廓空堀よりも堀底が一段高く構築されています。
 
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堀底に降りて撮影。
 
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先ほどの2廓・本廓空堀地点からアングルを変えて撮影。
 右手の堀が2廓の空堀。 左手に3廓空堀で間にあるのが土橋。
 
 
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半ば独立している4廓の様子。 手前3廓との間には浅い空堀があります。
狭いし・・なんの役割を果たしていたのか。
 
 
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3廓から土橋を渡り2廓に行きます。 坂虎口状に登り坂。

 
 
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土橋を横アングルから撮影。 

 
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土橋を渡り右手を撮影。 2廓の北側細長く回廊状に延びている部分ですね、縄張り図でも分かりますが回廊先端部分に櫓状の建築物でもあったのか、角状に膨らみが形成されています。
 画像左手が本廓空堀、右手が2廓空堀。 
  
 
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2廓内部から本廓方面を撮影。 2廓が最も広い空間をとっています。
 
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2廓東側の空堀
 堀外側には藪々で全く写真に写らない竪堀もあるので見落としなく!
 
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本廓内部の様子です。 前述のように道路拡幅でだいぶ狭くなっているという事でスペース的にはそれ程でもないです。
 本廓周囲はかなりはっきりとした土塁が巡らされています。
 
 
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土塁北面には櫓台跡とされている土塁が幅広の部分が残されています。
 2廓に向かってせり出した形なので結果的に堀のラインに折れを生じさせています。
 
 
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櫓台から 北側に向かって撮影。
 手前空堀を挟んで回廊状の2廓。 更に空堀を挟んで右奥に3廓が確認出来ます。 左奥は謎の城外の平坦地です。
 この位置関係でここに櫓があれば、その上から全体の銭況を把握しながら指揮を執るには最適かもしれないと考えていました。
 

小坂城の評価は 4 とさせて下さい。
 お城の縄張りが大好きな人ならグッドな評価と思うのですが、知名度等考慮して4です。
 城域がきちんと整備されて(当日も草刈りをされていました)見学もしやすく、城内の至るところに説明板を設置している点も高評価。
 草刈りの方が、いやぁー大した事ないでしょ・・などと謙遜されてましたが非常に良いお城でした。