ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

横須賀城 (静岡県 掛川市)

 
訪問 2016年 3月
 
駐車場  有
案内板  有(駐車場)
 
 今年3月、再度の静岡遠征を敢行しました。このブログは訪城順に掲載する為、最近の更新は静岡の城ばかりになっております。
 
 所で今回の目的は念願であった高天神城。武田と徳川の争奪戦で戦国屈指の攻防戦が繰り広げられた大変に業の深い山城ですが、そのついでに立ち寄ったのが今回の横須賀城です。
 一般的には玉状の石を用いた特徴的な石垣の城として知られています。
 
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             横須賀城 本廓裏側の切岸
 
当初は、高天神城の後の時間潰しと、玉石垣の写真でも撮るかなぁという軽い動機で訪問したのですが・・これが石垣以外も結構面白い城郭でして結局2時間程掛けてぐるりと歩き回ってしまった次第。
 
 そんな訳でして天の邪鬼な当ブログとしては石垣以外を中心に紹介したいと思います(石垣はもう他のブログで良く紹介されてますしね)
 
 場所は以下のURLを参照して下さい。
 
 

 
 今でこそ内陸に位置する横須賀城ですが、1676年の大地震までは城南側まで入江が深く入り込み港町として機能していたとの事です。
 
イメージ 2
 本廓にある横須賀城の模型を掲載して説明します。
 赤四角で囲んだ区域が城址公園として整備されている城中核部になり、Pの所に公園駐車場があります。
 
城の概要としては、中核部の本・西の丸辺りが丘状の地形でその周囲の廓は全くの平坦、所謂「平山城」の形態です、と言っていいですかね。
 
 整備対象外の区域は宅地化等により殆どの遺構は破壊されていますが、赤丸の部分には遺構が残っていたので今回掲載します。
 
 城南側の中土居道が現在の県道41号で南側の遠州灘まで繋がる入江と外堀との仕切りの役割を果たしていたようです。
 
イメージ 3
 駐車場にある当時の絵図面と横須賀城の歴史
築城のきっかけは徳川氏による高天神城攻略の足がかりとしてですが以来明治時代まで城の歴史は続きます。 
 詳しくは画像を拡大した御覧下さい。
 
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外堀に掲示してある航空写真の指定区分図。 横須賀城の現況が良く判ります。
 
 
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駐車場に車を停め、隣接する西の丸に登って西側を撮影。
 現在は宅地と農地が広がりますが当時は2の丸と3の丸が広がっていた筈です。
 
 
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本廓から足元を見下ろすと特徴的な玉石垣が見えて来ます。
 これ、全周総石垣じゃなくて石垣の重点個所以外は土塁のままなんですね。
 
 
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 本廓にある「横須賀城址」の碑
 
 
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足元に降りるとこの玉石垣造りの景観に圧倒されてしまいます。
 これは ちょっと他にはない造りじゃないですか。 城址の復元は少し懐疑的に思う所があったのですがここまで徹底的にやりこむと、参りましたと言いたくなってしまいます。
 
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 正面のアングルからもう一枚。 素晴らしいです。
 
 
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 石をアップで撮影。 石が丸いからかコーナーの角も算木積みではなく緩やかなカーブを描いて処理しています。 「城」というイメージを払拭するような優美なライン。
 
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 おまけにもう一枚。 
 
 
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 石垣復元箇所から外れて散策を続行します。
本廓南東の三日月池(堀?)ほぼ当時のまま残っていました。
 
 
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三日月池端の石積みの跡。 
 先ほどより石が小さく不揃い、勾配も緩やかなのでひょっとして当時の石垣のままなのかも知れません・・
 
 
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 本廓の裏側も見たくなり移動中に見つけた お姫様の祠。 案内が無かったので由来は判りません。
 
 
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本廓裏の北の丸から見上げて撮影した本廓切岸。
 この法面に崩落防止用に石を敷きつめると玉石垣になるんでしょうね。
 この辺りの土の城の雰囲気も実にいいです。
 
 
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北ノ丸の先には松尾山(廓)が控えています。 この辺りは山城の雰囲気が漂っています。
 
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 松尾山から本廓方面を撮影。 良く切り立った切岸がいいです。
 
 
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 一旦駐車場まで戻り、徒歩で城の南側水堀跡を散策します。
画像正面奥が駐車場。 道路両側の草地が旧水堀で、奥に僅かな坂道があると思いますがこの坂道の上にある住宅地が城内側となります。
 
 
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県道沿いに延びる草地が外堀跡。 画像右側の県道が旧中土居道になります。
 草地左手の宅地と地形上の高低差が今でも残ります。
 
 
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外堀跡の脇に残る西櫓の土塁。
 
 
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こちらは城北側に残る外堀跡の形跡。
 砂利道右手が西の丸。旧堀底は茶畑に転用されています。
 
 
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 地形として堀の痕跡は2の丸3の丸まで続いています。
 
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 そしてゲートボール場裏に残る2の丸土塁跡。  
史跡公園からは漏れていますが、横須賀城の痕跡はかなり残存している印象でした。
 

 横須賀城の評価は 4 とさせて下さい。
 
公園整備されているので通年で楽しめるますし、遺構もかなり残っています。
 玉石垣のインパクトが大きくそればかりに目がいきがちですが、土の城の魅力も持ち合わせておりこれが実に良い雰囲気を残していました。
 ここはついでに行くような遺構ではなかったですね。