おなじみの縄張り図を掲載します。
今回は 中核部北側の北城と 実城南廓の南側下段に残る遺構を中心に紹介します。
上の図でも大雑把な描き方をするだけあって、訪れる人が少ないエリアですがしかしながらマニアック目線では大変面白い遺構が残る空間です。
ひとまず金山城3で紹介した本廓2廓間の堀底道を戻り北城側に向かいます。
本廓北側の馬場廓から「こどもの国」方面に向かう山道を下ります。
山道は尾根筋を九十九折れで谷底に向かってます。
坂道を下りつつ振り返ると石垣で道を補強した跡が続きます。
当時の石垣?? かは判りませんがかなりはっきりと残されています。
尾根の鞍部まで降りると堀切があります。 ここから先が北城のようです。
堀切にある本城北端の案内板。 稲妻?・・良く解りませんでした。 藪が刈り払われていない事もあって、山道から外れると全く周囲の遺構が判りません。
暫く進むと尾根筋が広く平坦な地形になります。
ここも廓跡ですかね、 ひとまず分岐があり北城方面に向かいます。 確かキャンプ場方面に行く・・はずですが記憶が曖昧です。
先ほどの尾根から支尾根に分岐してやや下り勾配の尾根道を進みます。
これは振り返って撮影した画像です。
尾根筋に土塁で遮蔽線を渡して、ルートを左に旋回させています。
と言っても・・画像ではただの藪ですが土塁はかなりの規模です。
更に尾根道を進むと先には北城の案内板がって道は終わりますが、左手に更に別尾根に続く山道が伸びています。
この辺りも既に北城の域内なのですが、藪々に阻まれて周囲の遺構の確認は全くできません。
坂中城(北城)跡の碑 北城はこれ以上見て回れません。
以下は北城のおまけです。
碑の脇にある長石への案内板。
なんでも籠城した時に白米でを岩の上から流していかにも水が豊富ですと敵方にアピールした所みたいですね。
心細い案内板を信じて長石を目指します。
ここまで見て回る物好きは少ないのか・・・途中で道が消滅しており断念。
藪の左手は隠れていますが物凄い急勾配でかなり危険な感じです。
人の流れが復元石垣側から神社に向かう為、この参道を使う人はいませんでしたね、石段の石はかつての石垣石の転用が多いようです。
石段を降りて「漢落碑」を前に撮影。
石碑には昭和13年10月27日漢口陥落 と刻まれています。
そのまま南廓の一段下がった腰廓を散策。
足元に無数に転がる丸い石が気になります。
画像右手にある土塁の切れ目が虎口跡。
土塁線の当時の石垣が残ります。
虎口を抜けるとある「本城南端」の案内板。
前の画像でもちょこっと写ってますね。
実はこの案内板の裏側には、ものすご~く風格のある石垣が残っていたりします。
しかも長い、等高線に沿って延々続いているような規模です。
用いられている石材も大きく、残存状態も非常に良好。
同地点、南木戸残存石垣と書かれた碑。
正面が虎口が南木戸口跡。 更にその正面竹林の上に南廓があります。
ここの風格ある石垣と虎口が、個人的には金山城で一番のお気に入りポイントですね。
しかしながら現地案内板では省略され、観光客の動線からも外れているのが大変残念に思えます。
お気に入りのポイントなので、引きのアングルでもう一枚。
南木戸口から再び城内に戻り、先ほどの丸石のある廓に戻りました。
ここから南廓の南側に沿って駐車場方面に向かってみる事にしました。
高い土塁に囲まれた小廓に至りました。
この辺りも観光客は誰もいませんでした。
虎口もかつては石垣で固められていたようで崩れた石垣が一部に残ります。
何か文字が彫り込んである石材が転がっていました。
かつては石垣の一部だったんでしょうね。
この石は先の虎口から城外に向かって山道を下る途中にあります。
金山城の評価は 5 です。
全4回に渡って紹介しましたが、古い石垣・復元された石垣と建物・土の城の縄張りなど、様々な要素が詰め込まれて城に興味のない方が訪れても十分楽しめると思います。
また各所に解説板が設置されいたり、下草が刈られている等整備も良好。
強いて言えば復元整備されていない場所の整備もされると尚良いのですが・・
訪問の機会がまたあれば、時間の都合上訪問を断念した麓の資料館と八王子山ノ砦を訪問したいと思います。