元々3回位でまとめるつもりでしたが・・どうやら4回位になりそうです、見所多すぎなんですね。
現地縄張り図の実城中核部を拡大したものです。
西城の駐車場から西矢倉台手前までが前回掲載ぶん。
今回は西矢倉台から図の右側に向かって進みます。
その前に、金山城の説明を全く忘れていましたので案内板の解説を掲載します。
今に残る金山城跡は、岩松(新田)家純が文明元年(1469)に築城したものが基礎となっています。説明でもあるように、ここ金山城の最大の「売り」は関東では珍しい石造りの山城という事でしょう。
その後、下剋上によって実質的な城主となった横瀬氏改め由良氏の時代に全盛となりました。
上杉氏、武田氏、小田原北条氏、佐竹氏などの戦国時代の雄に取り囲まれた中、その攻略によく耐え抜いてきましたが、天正12年(1584)小田原北条氏に捕われの身となった城主由良国繁と、その弟長尾顕長(館林城主)の帰還を条件に開城し、小田原北条氏の家臣が城番として配置されました。
天正18年○○○○小田原北条氏の滅亡と共に廃城となりました。
江戸時代には金山「御林」として徳川幕府直轄地となり、現在に良好な城跡遺構を遺す結果となっています。
昭和9年(1934)には、歴史的価値の高さと遺構の残存状況が良好な事から、県内では初めて城跡として「史跡」の指定を受けました。
廃城後約400年を経過し、遺構の奥が樹木や武・下草で覆われ。城の面影は失われていましたが、調査の結果、大規模かつ複雑な虎口形態を持っていたことや、更に曲輪斜面の石垣、石敷通路や土塁石垣など、随所に石を多様している山城であったことが明らかとなって来ました。
往時(中世末)における関東の山城としては、極めて珍しい「石垣の城」という様相が明らかとなりつつあります。
以下略
ですがその石垣も、復元によって往時の姿を蘇らせた石垣と、当時そのままの姿を留める石垣の2種が存在し、その他にも城域周辺部で良く見かける「土の城」としての金山城、この3つの姿が楽しめる城郭遺構かと思います。
さてうんちくはこの位にして今回は壮大な石垣が見所の復元部までの道のりを中心に紹介したいと思います。
前回最後に紹介した尾根筋を断ち切る堀切のそばには、崩れた当時の石垣がそのまま残されてます。
これは石段の跡? かと、この上は尾根筋に展開する廓の削平部になります。
西矢倉台廓の跡まで進みました。 この辺りまでは周囲は深い森が広がります。
進路先に石垣が僅かに見えているのが判りますか?
森を抜けると唐突に現れる石橋と石垣。 石橋は堀切を渡っています。
石垣に反りがないんですね、復元と思われますがいい具合に表面に貫録が出ています。
実は石垣左手に巨大堀切がありこちらも大変素晴らしい・・岩盤を掘って削って造られた堀切で迫力があります。
掘るといっても岩ですから凄まじい労力を要したのではないでしょうかね。
堀切側から石垣方面を撮影。
堀切の削面が四角ばっているのはここから石垣用の石材を調達したから?
そしてこの辺りの案内板です。
通路の石敷きは当時からだったんですね。
石敷き通路を振り返って撮影。
通路脇の囲いは建物跡の意味です。
更に進むと石垣造りの竪堀もあります。
通路の上は「馬場」と呼ばれる尾根筋を利用した細長い廓があります。
判りにくいですが廓右側には土塁?の痕跡らしき土地の高低差がありました。
「馬場」の先端にある物見台跡。 ここは人気ポイントのようで、どう頑張っても人が写り込まないタイミングがありませんでした。
因みにこの物見台の足元が先ほどの岩盤を削った堀切になります。
物見台の解説板です。 復元前の石垣の様子も載っています。
「馬場」の反対側つまり実城側の様子。 厩?の復元建物があります。
礎石造りではなく掘立柱造りですかね。
馬場と3廓を隔てる大堀切。 堀切左手が馬場です。
堀切としては圧巻の規模を誇りますが、復元石垣群という最大の見所の脇にあるという立地の為、観光客の方々にはほぼスルーされてました。
でも個人的にはここも見所なんですけどね。
そして堀切が手前に向かって下り勾配が設けられてる点も注意して下さい。
堀切の先には「月ノ池」が控えています。
オレンジ色の管の先が先ほどの堀切です。
そして いよいよ大手虎口に着きました。
このアングルの写真数多く見て来ましのでこの時少し感動しています。
ひな壇状に幾重にも石垣が組まれています。 先ほどの大手道が丁度谷底になります。
高石垣もいいのですが階段状の連続した石垣もいいですね。
丁寧に復元されている点も素晴らしい。
廓内の石造りの排水溝も再現されています。
谷底に近い位置には井戸があります。
ここまで綺麗に整備されると、この石垣は400年前のまま崩れる事もなく保たれていたと誤解を受けないか少し不安になります。
建物と竈も再現されています。
奥の建物は南廓に設けれた休憩所とトイレです。
復元建物の中に入りますと各種資料が展示されていました。
石造り復元箇所の図がありましたので掲載します。
石敷き建物址と書いてあるのがこの建物です。
建物に興味のある方はここお勧めです。 床下の一部が見られるようになっており、実際に石が敷いてある様子が確認出来ます。
金山城 3 に続きます。