ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

金山城 (群馬県 太田市) 3


金山城シリーズも3回目となりました。

イメージ 1
早速ですが、おまけの石垣画像をアップします。
 復元から時間を経て石垣にいい具合にツタが絡まってますね。

イメージ 2
ズームしてもう一枚。 

イメージ 3
そして金山城と言えば、この「日ノ池」ですかね。
 山城のしかもかなり山頂に近い部分にこれだけの水を湛える貯水池を持つという意味はかなり大きいですね。
 籠城するにも心理的な安心感があったのではないでしょうかね。

 
イメージ 4
 現地の解説板です。
それにしてもなぜ池の形を円形にしたんでしょうか? 

イメージ 5
復元石垣の一段上にある南廓には、金山城の石碑があります。
 
イメージ 6
 再び登場の詳細な縄張り図。
 これも同じ南廓にあります。

イメージ 7
南廓から見下ろした石垣群
 石垣の向こう側が3ノ丸ですが、そこだけは私有地です。

イメージ 8
南廓にある 中島飛行機創業者の「中島知久平」氏の胸像。
 太田市と言えば、中島飛行機の前身でもある富士重工のお膝元ですから、この胸像も納得。

イメージ 9
再び中核部の図をアップします。
 今が南廓です。
これから、御台所廓から新田神社等がある本丸を目指します。

イメージ 10
南廓から 御台所廓へは高低差が存在します。
 この先は石垣の復元のなされていない廓になります。
 その為か、神社参拝以外の観光客の数が減ります。

イメージ 11
御台所廓の南端です。
 鳥居があり、ここから振り返ると参道が本廓に向かって延びます。
 右手の赤いコーンはどうやら火事で焼けた土産物屋?の跡のようです。

イメージ 12
御台所廓内部の様子。
 先ほどの石垣の空間とは異なる雰囲気ですね。

イメージ 13
巨大な欅の古木。
 樹齢は金山城よりも古く推定800年とされるそうです。

イメージ 14
参道を進むと石段の上に神社が見えて来ました。
 しかし、このまま石段を登らずに右手に折れて、本廓を取り巻く腰廓を目指します。

イメージ 15
取り巻きの腰廓と、尾根筋を護る小廓がありました。
 下草も刈られて散策しやすい環境が整っています。
 
イメージ 16
下の小廓から、本廓を見上げた様子。
 石垣は確認できませんでした。

イメージ 17
こちらは新田神社等がある本廓の北側裏手の馬場跡。
貴重なオリジナルの石垣が残されています。
 
イメージ 19
見上げると 上の方にも少し石垣が残っていました。

イメージ 18
本廓、2廓を隔てる空堀を歩いて神社参道側に戻ります。
 この堀底と竹林が非常に素晴らしい。

イメージ 20
本廓内部の様子です。
 新田神社の他に・・・幾つか神社があったのですが名前を覚えていませんので画像だけです。

イメージ 21
神社裏手にある「御腰掛石」 
皇族の方がみえる度に腰掛石を新調するんでしょうかね? 
 これも良く判りません。
 
イメージ 22
本廓の隅にあった謎の構造物。「宮城遥拝所」と僅かに読めます。 
 戦前の物ですよね、これって。
この軍艦の手旗信号指揮所の様な所に立つと、眺めが大変良く恐らくは宮城(皇居の事ですので)の方を向いて造られているのでしょう。
 かなり珍しい物じゃないですかね。

イメージ 23
同じ本廓内にある砲弾。 
 これも戦前でしょうか、何かの奉納と思われますが全く説明がなく詳細不明。
 
 
色々脱線しましたが 金山城4 に続きます。