位置の説明用に、縄張り図に再登場して貰います。
今回は坂田城の城域の半ばを占める外城を中心に紹介します。
前回最後に紹介した登城虎口を抜けると、外城域が広がります。
現状は一面の畑地が広がる広大な空間です。
この広大な敷地の用途が謎みたいですね、300騎の動員力で守るなら手に余る広さです。
下の方で改めて紹介しますが、外城域の防禦線は前哨陣地といったお手軽さではなくかなり本気さを感じる規模で構築されており、ここで食い止める と言った意気込みを感じました。。
やっぱり後北条氏の要望で造られたんですかね?
外城のど真ん中に掲載の縄張り図が表示されています。(縄張り図現在位置)
他にもあちらこちらに縄張り図の掲載はあるので、かなり訪城者に親切な整備がなされています。
外城(現在位置)から真っすぐ東に進むと台地下に道は続きます。
虎口の名残の様に思える道のクランク具合が残ります。
こちらは 外城東端の土塁上にある神社。
なにやら良い佇まい。
外城域を北に進むとやがて土塁のラインにぶつかります。
土塁虎口を撮影。
土塁の幅と高さ、尋常ではありません・・ ここから車道を抜けて外城外側の空堀を見ることにします。
空堀は藪また藪の凄まじい状況で写真では判らないと思いますが、これがまた堀の深さと広さ、凄い規模で構築されています。
車道を進み振り返って撮影。 両側に2重の堀と土塁が展開しています。
東側が竹藪になっていて、内部散策が可能なので進みます。
未整備状態ですが、堀底は歩いて行けます。
この辺り、実に良い状態で遺構が残っていまして個人的には必見ポイントかと。
竹藪を進むと、東側の崖面に降りられます、切岸を挟んで足元に祠が残されています。
祠を抜けると外城東側の腰廓の遺構に出られました。
切岸面の途中に外城東側ラインに沿って土塁を伴った腰廓が続いてます。
この辺りの遺構、規模も大きく残り具合も非常に良い状態です。
腰廓側から撮影した外城空堀
分かり易い程V字に掘られた険しい法面の空堀。 本丸辺りの堀とは何か雰囲気が違う気がするのですが・・どうなんでしょうかね。
さっきの腰廓に戻ります。
判りにくいですが崖下から登る虎口が存在しています。 この辺りの虎口の防禦構造もなかなか面白い。
そのまま腰廓を進むと竹藪の先が明るくなってきました。
竹藪を抜けると、唐突に車道にぶつかります。
ここは上の方で紹介した、虎口の名残かと思われるクランクの途中です。
やはりこの車道はかつて坂田城の虎口じゃないんですかね。
坂田城の評価は 4 とさせて下さい。
坂田城は関東平野に良くあるパターンの台地上を利用した土の城の一つですが、
城域の広さ、土木量の多さ、縄張りの技巧的な見所、どれもが素晴らしいものです。
遺構も開発で破壊される事なく外城域も含めてほぼ完全に残されている点も好評価です。
訪問には決して便利な所ではありませんが(地元の方スイマセン)土の城の醍醐味を味わえる良い城郭であると思います。