成東城
訪問 2015年 5月
駐車場 無
案内板 有(愛宕廓)
半年前に千葉のお城を2つ巡っていたのでその模様をアップします。
今回は 成東城、主廓部が成東城跡公園として整備されてます。
実はここ数カ月、記事のアップをかなりさぼっていたお陰で現在未掲載のネタが溜まっております。
今後古い順に少しづつ吐き出していきます、そんな訳でして内容はフレッシュさを欠いております。

因みに 成東城と書いて「なるとう」と読みます。
城のある山武市は・・・「さんむ」と読むそうです、やまたけ・・じゃありません、この辺り読み方が独特な地名が多い気がするのですが何故でしょうか。
場所はこの辺り、駐車場は完備されていない為、今回は駅周辺のコインパーキングを利用しました。
城の歴史に関して山武市HPより抜粋します。
かなり ざっくりとした紹介ですが千葉氏の支城の一つと言う事でしょう。
鎌倉時代には、上総国(かずさのくに)山辺庄成東郷と呼ばれ、千葉氏の支配下に属し、安貞元(1227)年 印東(いんとう)氏(南郷四郎師常)の領地になり、印東四郎入道によって成東城が築造されたと言われています。
享禄3(1530)年、千葉介勝胤(ちばのすけかつたね)によって再興され、北条氏滅亡と共に陥落、家康関東入国後、成東城二万石は石川康道・青山忠成などによって領有されましたが、元和6(1620)年青山氏が転封となり、成東城は廃城となりました。
地形的には崖端城という事になるんでしょうか、南側からは丘を見上げるような位置関係にあります。
北側の住宅地との城とは高低差がありません、但し北側は宅地造成によって失なわれた元城域と言われております。

駅から徒歩で10分位歩くと城跡公園入り口の標識があります。
住宅街で解りにくいのですが、本行寺の裏側を目指して下さい。

その内の愛宕廓に向かって道は登ります。

先ほどの道は図の右下から愛宕廓に向かっています。
この成東城主廓部の縄張りは、推定本廓の愛宕廓と推定2廓の城之内廓が並立し、その間に細長い廓が挟まって、土橋で連結しているという構造です。
この成東城、縄張り図を頭に入れずに訪城するとかなり惑わされます。
愛宕廓から城之内廓方面を眺めると見えるのは細長い廓なのですが、土塁で奥行きが完全に隠されておりこの先の廓が主廓であるように思えてしまいます。
また愛宕廓と城之内廓が並立していることによって、どちらが主廓か判断が付きません。
案内板にも推定本廓等と書かれており明言を避けいる位ですから城攻め側としたらどちらに戦力を傾注するか迷うでしょうね。
そんな妄想をしておりましたら、横浜市にある小机城の縄張りとそっくりじゃないかな・・と想像。

上記が 小机城の縄張り図です。
記載の「つなぎ廓」が同じコンセプトに思えてなりません。
古い記事ですが、小机城記事のリンクを張っておきます。

坂道を暫く登りますと、道は虎口に至ります。 ここからが主廓部になるようです。





やっぱり分からないですよね。

公園整備化によって堀底が遊歩道に改変されているのが残念な点です。
ちなみに画像右手が細長い廓になります。

ここも城跡公園入り口になりますが車を停めるスペースはありません。

これだけ見れば普通の公園ですね。

これが成東城では圧倒的に深く広い空堀で見所の一つと言えると思います。

この辺りの堀底は遊歩道化されてイマイチ残りが良くありません。
成東城の評価は 4 とさせて下さい。
つらつらと小机城等を交えて妄想を炸裂させましたが、基本的に見所の多い城郭遺構だと思います。
欲を言えば主廓以外の城跡も残っていればより良かったのですが・・・
