師戸城
訪問 2014年 12月
現地案内板 有
駐車場 有
先に紹介した臼井城とは印旛沼を挟んだ対岸の舌状台地先端に立地する
師戸城(モロトジョウ)は、臼井城の支城とされる城郭になります。
現状は印旛沼公園として整備されており、廓内はグラウンドになっていたりしますが、通年に渡って訪城が可能です。

拙ブログでは訪問順に記事をアップしておりますが、今回は臼井城との関連性がある為、順番を変えております。
師戸城については、公園化による破壊の懸念や支城という事もあり、当初は余り期待をしていないままの訪城でしたが、実際には極めて良好に遺構が残されており、堀の折れ等 技巧的な縄張りも楽しめる個人的には大変に大当たりな城郭でした。
師戸城についての現地案内板を掲載します
師戸城の歴史
師戸城は、千葉氏の一族であった臼井氏の居城である臼井城の支城として、14世紀に築かれたと言われる。
その後、何度か改築され、現存するような形となったのは16世紀中頃と推定される。
城主については明らかではないが、江戸時代初期に書かれた「臼井家由来抜書」に名前の見える臼井氏四天王の一人である師戸四郎がこの城に関係があったかとも考えられる。
印旛沼の対岸にある臼井城とは「渡」で連絡され、臼井城の防衛に大きな役割を果たしたと考えられる。
永禄9年(1566)上杉謙信の臼井攻めにもよくその猛攻を防いだが、天正18年(1590)、豊臣氏による下総攻略で落城し、臼井城と命運を共にした。
本丸・二の丸・三の丸・道場台の4つの廓外敵を防ぐ為の土塁、空堀などが見られ、中世城郭としての様式をよく残すとともに本県の歴史を知る上で価値の高い城跡である。

縄張り図でははっきりとは表現されてませんが、中堀・カラホリ共に堀のラインが単純な直線ではなく、巧みな折れを伴っており見所ポイントかと思われます。
現状 堀土塁はほぼ完全に残されています。 廓内の3廓はグラウンド、道場台は児童公園の様相になっています。


残念ながら空堀(遊歩道右側)はかなり浅くなってますが、3廓の切岸は大変なものです。
臼井城もこの位見やすくして貰えたら・・


堀底がジグザグに折れているのが解りますか?



空堀はかなり浅くなってしまっています。


虎口は整備の時に改変されたのでしょうか、単純な虎口になっています。

見事な薬研堀のVの字が残されています。
その為でしょうか、非常に深く鋭い実に見事な空堀でした。
師戸城の評価は 4 とさせて下さい。
臼井城の支城という役割に過ぎない師戸城ですが堀も土塁もかなり大がかりに造作されており侮れません。
城域こそコンパクトに抑えてありますが土の城の見どころが満載であり、また公園と言う事あり整備も行きと届き、その見事な遺構がはっきりと見られる点も好評価かと。