ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

丹生城 (群馬県 富岡市)

丹生城
 
訪問 2015年 1月
 
駐車場  無(城脇の路肩に駐車)
案内板  有(本廓下)
 
 丹が生まれると書いて「にう」と読むらしいです。 ぐぐると辰砂が採れる地 等ともあり、古代そういった鉱物が採れる地に名づけられていたようです。
 
 さて肝心の丹生城ですが、貴重な「壕内道」と呼ばれる堀切道が残る稀有な遺構なそうで、それを目当てに訪問したわけですが、城の歴史に関しては調べても余り詳しい情報が出て来ませんね。 
 なので今回は遺構の紹介のみに留めたいと思います。
 
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    丹生城堀切道(壕内道)
 

 

 

 場所は この辺りです。 
 城は山城という程でもなく、麓との比高では丘城程度ですかね。
集落の裏山にあるから 裏山城? 前回の松井田城と比べると遥かにやさしい山並みです。
 
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城の北側からアプローチしました。
 県道199号から高速側道を南下して、ここの分岐を左上へ。
 
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登って突き当たりを右折。
 
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高速跨道橋手前に「丹生城」入口の看板あり。
 この付近の車道が比較的巾広いので今回停めさせて貰いました。
 
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 本廓手間の現地案内図を掲載します。
 図右手が北側です、北側から南に進んでいきます。
 因みに肝心の壕内道は縄張り図からは漏れています。 
 
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基本的に丹生城は尾根筋を利用して築かれています。
 北側は幾重にも築かれた堀切で遮断して、これは1本目の堀切。
車用に土橋が拡幅されて旧状は破壊されています。
 
 
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それより先は、散策路のみの為、堀切は完全に残されています。
 浅いけどしっかり堀切ってますね。
 
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本廓直下の腰廓に到着。
 右手切岸上が本廓になります。 ここに上記の縄張り図があります。
 
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腰廓内にある井戸跡。 
 
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本廓内部の様子。 周囲には土塁は巡らしていなかった模様。
 丹生城最大の広さを誇ります(他はかなり狭いのです)
 
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腰廓をぐるっと巡ります。
 
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 腰廓を辿って本廓裏側に回ると 「三日月石」 がありました。
 
三日月石(由来と説話)

(由来)
岩頭にある三日月方の窪みと溜水による

 (説話)
1 昔、丹生城が敵の夜襲攻撃を受け、落城直前に、この岩頭の水が月光で放つ輝きに敵軍が恐れおののき退却したという。

2 城主、丹生四郎金乗がこの水で墨書したという。

3 昔から、この水は絶えたことがないというまた、住民はこの水を目の治療に使いました。
 
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不思議な逸話のある三日月石ですが、訪問時は水が枯れていました。
 
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さて、縄張り図左下の至大手門方面に向かいます。 ここからは縄張り図の外になります。
 小廓2段の間に動線を屈曲させて、侵入を困難にしています。
 
 
 
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小廓を抜けると 細い尾根道が続きます。
 これは振り返って本廓方面を撮影。
 右手が尾根沿いの削平地で細長い廓を形成。
 これに沿うように堀底道が続いています、これが壕内道ですね。
攻城側は 右手の廓から延々チクチクと攻撃を受けながら進む事になります。
 
 
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壕内道を更に進むと、その先は墓地になります。
 もう丹生城の外側かと・・なりそうですがまだ続きがあるのでこのまま直進です。 因みにここも廓の一部です。
 
 
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墓地がきれると 壕内道と尾根筋を断ち切る堀切りの交差点に到着。
 ここに壕内道の案内板があります。
 
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反対側から撮影。 壕内道を見下ろす。 確かに余り見た事がないですね、興味深い。
 
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堀切の様子。 凄い藪ですが、麓まで続いているようです。
 

丹生城の評価は 3 とさせて下さい。
 
 実は他の城郭を見た後、時間に余裕があったので丹生城は半ば「ついで」に寄ったのですが「壕内道」が期待を裏切る面白さで個人的には好評価です。
 それにしても何故、本廓の縄張り図から「壕内道」が省かれたのか・・どうしても解せませんね、あれだけを頼りに散策したら見落とします。