訪問 2014年 7月
駐車場有
現地縄張図有
引き続いて 同じく長野県にある桑原城を紹介します。
標高が高い為か真夏の訪城にも関わらず藪蚊等の害がそれ程ない点も見逃せません。
2廓から撮影した 桑原城 主廓
東側から伸びる尾根の先端部に位置します。 丁度尾根のくびれ部を堀切で断ち切り尾根先端部を削平化して廓部としています。
現地案内板より 桑原城の紹介を掲載します。
その関係が崩れたのは、総領を継いだ諏訪頼重が天文10年(1541)に関東管領上杉憲政と単独で講和を結んだ事に対する報復か、翌年11年(1542)、父信虎を追放した武田晴信(のちの信玄)が諏訪に攻め入った事によります。
上社神長の記録「守屋頼真書留」によれば、その頃諏訪では災害や飢饉、対小笠原氏や佐久方面での戦いが続き、民衆が疲れ果てていた為、高遠頼継らと結んだ武田勢を迎え撃つ勢力には差が歴然としていたと言いますが、頼重は奇襲策を嫌い、正々堂々と戦おうとしていました。
7月2日夜、劣勢のまま居城である上原に火をかけて桑原城へ退去、3日の夕方には戦闘に備える為に検分をしようと「つるね」(足長神社へ続く尾根道か)を下った頼重を見た家臣が、頼重が城を捨てたと思い逃げていってしまった為、20人程で夜を明かし、4日、甲州勢の使者を受け入れ城を明け渡す事にしました。 その後、頼重は甲府へ連行され、東光寺で自刃しました。
まぁ専門的な事は解らないのでこの位にします。
現地縄場図を掲載します。 縄張りは至ってシンプル。
縄張り図左上からアプローチします。
バイパスではない方の国道20号を茅野方面から北上すると、右手の教習所のある三叉路があり、そこを右折(県道424号)
中央線の高架をくぐると 上の画像の様に山の裾野に 桑 原 城 と看板があります。
看板手前で丁字路になり、そこを左折。
集落を抜け、山道を登る事数百メートル程で、桑原城入口という看板と案内板があります。
この場所に砂利の駐車スペースがあります。
看板の所に車を停め徒歩で林道を登ります(所要時間15分位か?)
林道は道も締っており画像の側溝(数か所あり)を乗り越えられれば車で尾根の鞍部まで一気に登ってしまうのもいいと思います。
林道の終点です。 左手奥が尾根筋になり堀切が存在しています。
ここにも駐車スペースがあります。
ここまで車で登れば良かった~と思った瞬間ですね。 真夏なので暑いし・・
林道終点の奥が尾根筋の登山道になります。
右手が桑原城 画像最奥に堀切がありますが、風化が進んでおりほぼ埋まっている状態。
堀切をすぎると 右手に道は迂回します。
腰廓?の名残か、それにしても樹木が物凄いです。
首塚のある廓に到達。 夏草が大繁殖して大変な事に。
散策路さえ草で怪しくなっており地形の状況までは解りません。
首塚の様子。
「長野の山城ベスト50を歩く」によると 実際は土塁等の名残らしいとの事。
まぁ草に覆われて 良く解りませんでした。
首塚のある廓から本廓を撮影。
回り込んで 本廓・2廓を隔てる空堀に到達。
右手が本廓。
本廓内の様子。
奥にあるのは縄張り図。 縄張り図奥には土塁の痕跡もあります。
眺望がかなり良いのが印象的。
脇にひっそり佇む祠。
本廓から 空堀を挟んで2廓方面を撮影。
縄張り図では再現されていませんが2廓は浅い空堀で更に内部が区切られたようでした。
2廓から諏訪湖を方面の眺望。
上原城も同じですが諏訪盆地眺めが大変良いのです。
2廓の仕切り空堀は手前の溝状のラインです。
振り返って 本廓方面を撮影。
桑原城の評価は 4 とさせて下さい。
お城の規模縄張り等だけなら3位かとは思いますが、ここは雰囲気を味わうのが良いと勝手な気分で4にします。
本廓に辿り着いた時の蝉時雨が印象的でした。