ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

松井田城 (群馬県 安中市)1

松井田城
 
訪問 2015年 1月
 
駐車場   有(林道最奥部)
現地案内板 有(林道入口)
 
 さてさて、群馬西部で手軽に見て回れる規模の中世城郭を幾つか紹介してきましたが、今回からいよいよ大型物件? の「松井田城」を複数回に渡って紹介していきたいと思います。
 
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                          松井田城 連続空堀

 
連続空堀は次回紹介しますが、このように実に面白い縄張りが盛りだくさん。
 戦国末期、後北条氏によって整備された拠点級城郭である松井田城は、規模もさることながら技巧的な縄張りなど見所が満載で遠征した甲斐がありました。  
 

 

 

 

 場所はこの辺りです。 国道18号バイパスが城の南側直下を横断していますがバイパスからはアクセスできません。
 一旦 山道を北側に進みゴルフ場にぶつかる辺りから林道へ分岐する必要があります。
 
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 現地縄張り図を掲載します。
 
 赤丸で囲んである「現在位置」が城へ進む林道との分岐点であり、この縄張り図の掲載地点です。
 松井田城内部には縄張り図は見当たりませんでしたので注意が必要です。
図加筆の赤矢印は今回の紹介ルートです。
 
 松井田城は複数の尾根筋を利用して築かれた山城で、例えると漢字の「而」を逆さまにしたような形ですかね。
 
 本廓のある南側東西に延びる尾根から北側に向かって複数の尾根が延びており、いずれも城郭化されています。
 とても広大な城域で、今回の全てを回りきれた訳ではありません。
 
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松井田城へ至る林道の入り口です。 全面舗装済みの林道でアクセスは容易。
 
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林道を数百M進むと行き止まり、数台の駐車スペースがあります。
 ここからは徒歩になります。
 
 ここで 現地案内板から松井田城の紹介を抜粋します。
松井田城跡

 この城跡は、松井田町大字新堀、高梨子および新井に位置し碓氷川と九十九川にはさまれ、標高およそ250~410mの尾根上に築城された戦国期の大きな山城です。
 
 城跡の主要部は、およそ東西に1km、南北に1,5kmにおよび、ところどころを堀切で断ち、その間に10か所程の廓が並んでいます。
 
 この城は数度の改修がなされ、北条氏支配の天正年間には大道寺駿河守政繁が城主となり大改修拡張し、現遺構のように完成し北条氏(小田原)の築城法を示す典型的な山城となりました。
 
 天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで、前田利家、上杉影勝、真田昌幸らに攻められて落城しました。
 
 落城後も、城としての遺構をほぼ完全に残している県内はもちろん全国的にみても極めて重要な城跡です。
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 では早速尾根道を本廓に向かって進みます。
 早速現れる最初の堀切。 浅いです、他小廓等が続きますが、 ここで食い止める! というよりも連続した障壁を設ける事で侵攻側に出血を強要させるような印象でした。
 
 
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縄張り図2度目の堀切の辺りで、主廓のある尾根筋下部にぶつかり道が分岐しています。
 ここは左に折れて 水ノ手に向かう事にします。
 
 
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しばらく進むとあらわれる水ノ手。 周囲を石垣で組んでいます。
 今でも水がしみ出しています。
 
 
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更に進むとある竪堀を見上げて撮影。 竪堀の上は安中廓と推定。
 画像だと良く判りませんがしっかり竪に掘っています。
 
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横堀跡です。 横堀は東西尾根の等高線に沿って延びており、安中廓と櫓台跡の手前でL字形に折れ尾根筋を断つ堀切になっています。
 下草が凄まじく全容は現地に行っても中々掴めませんがこの横堀もかなりの規模で構築されており見所の一つかと・・
 
 
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東西の尾根筋まで登ってきました。
 廓の構築されていない尾根筋はこのようにただの尾根道のように細くなっています。
 
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東側の端を目指すものの、急斜面に阻まれここで断念し本廓方面に向かいます。
 
 
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先ほどの横堀を尾根筋から見下ろして撮影。
 
 
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安中廓手前の巨大堀切。
 
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安中廓内の城主大道寺政繁の記念碑。
 
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碑の裏側にある櫓台らしき土塁から安中廓全体を撮影。
 ここはまとまった平さの廓面積があります。
 
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次 本廓です。 植林と下草で散策範囲が限られ、見通しが悪く良く解りません・・
 
2に続きます。