ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

御名方神社裏の防衛線跡 (山梨県 韮崎市)

御名方神社裏の防衛線跡
 
訪問 2014年 7月
駐車場無  (隣接県道に路駐)
案内板無
 
 
 小ネタの様な記事を一つ。 今回は尻切れトンボの内容です。
 
武田勝頼が築いた新府城から北方1キロ余りの穴山の集落に能見城址という城址があります。
 七里岩台地特有の小さな岡を利用した城址なのですがここは地元の人も何もないよと言う程度の見た目は全くの自然地形です。
 しかし実はその脇に台地を東西に分断する新府城防衛ラインの遺構が残っています。
 
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御名方神社 北側より撮影。
 

 

 

東西と、今は観音様のいる南端まで断崖絶壁が続く台地で、新府城に大軍で攻め寄せるのは台地続きの北方しかない、とすれば惣構的な物か、防禦の縦深を稼ぐ意味で造られたのでしょう。
 
構築したのは、武田氏ではなく徳川氏が碓氷峠を越え南下してきた後北条氏防衛の為に築いたとされているようですね。
 
イメージ 2

車を停める場所が無いので県道に停めてしまいました。

 早速神社に参ります。
 
イメージ 3
お社のがありますが、今回は裏手に進みます。
 
イメージ 4
画像右上から左手前にかけて 堀状の遺構が走っているのが解ると思います。
 撮影地点はお社裏(北側)です。 画像の先はタイトル画像の県道です。
 
 
イメージ 5
斜面中腹に横堀状に構築していたんでしょうかね。
 夏場の訪問の為 草が繁茂していますが遺構ははっきりと認識出来ました。
 
イメージ 6
何とか保っていた天気が、神社を出た途端に本降りになってしまいました。
 ここで今回は撤収という事で 他の遺構はまた機会があった時に再訪問する予定です。