ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

大庭城 (神奈川県 藤沢市)

 先日 久しぶりの鎌倉へ遠征に・・・ とは言え仕事ですが(笑) 行ってきました。 
 仕事は昼前に無事完了、 ここまで来て都内へとんぼ帰りも勿体無いので 少し遠回りして 藤沢の「大庭城」へ寄り道することにしました。
 
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大庭城址公園入り口
大庭城は、 平安時代末期(12世紀末)、 大庭荘を本拠としておこった関東平氏の雄、 大庭氏の拠点
であったと伝えられますが、 明らかな記録はなく、 室町時代中頃(15世紀後半)になって、 扇谷上杉
定正の執事「太田道灌」が、 本格的な築城を行ったとされています。
 その後、 上杉朝良の時、 北条早雲によって攻略され 以後 小田原北条氏の支配下に置かれました。
 そして、 天正15年(1587年)、 小田原北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされ、 大庭城は廃城となったようです。
 現在残されている土塁・空堀等の城址の構えには、 小田原北条氏時代の改修があったものと考えられますが、 雄大でかつ綿密に設計されていた事は、 築山、裏門、二番構、駒寄などの地名からも偲ばれます。
  現地案内板より                      ※天正15年は18年の間違いですよね
 
 

 
 
 現在の大庭城は大庭城址公園として整備され一般に開放されています。
公園西側に無料駐車場がありました。
 只 夕方4時半には閉鎖されるようです、  コインパーキングの雰囲気もなかったので夕方の訪城はちょっと困るかもしれませんね。
 
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 これは城址西側の駐車場から撮影した大庭城公園全景です。
 
 大庭城は東に比地川を望む南側に突出した舌状台地の先端部を利用して築かれています。
 
ご覧のように城域は一段高台となっています。  手前との比高差は10メートル以上はあり、 勾配がきつく容易には登れそうもありません。
 
 この辺りで後北条氏の拠点城郭と言えば鎌倉の玉縄城が挙げられるので、 この大庭城の用途しては
『関東の名城を歩く南関東編』 では村人の避難所としての性格が指摘されていたと記憶してます。(営業車に置きっぱなしなので今持ってないんです・・・)
 
 
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 駐車場に車を停め トップ画像の模擬石垣? で固められた坂道を登ると・・・この様な広々とした公園になっております。 
 地元の方らしき家族連れが大勢遊んでおります。 城址公園といっても城址のコンセプトはなく 城址にたまたま公園を造りました、と言った雰囲気。
 
 
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 城の構造として、台地続きの北側からの侵入に備える為、 平場には東西に台地を間仕切る空堀が幾重にも巡らしてあったそうです。
 その一部らしき堀の痕跡がありました。  大分 埋もれてますが、往時はかなり幅広の空堀であった様子がうかがえます。
 
 
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 目立たない公園端には さり気なく土塁が残されてたりします。 
 
 
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 平場はこんな感じです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 やっと出て来た 城案内です。 現地案内板の文言はここに記載されてます。
この背後の森の中に空堀が隠れています。
 
 
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 案内板背後の空堀です。 折れもあり、土塁も巡らしてかなり本格的な規模と 良好な保存状態でした。
が、 堀内部は手入れしてないですね、全く中へ入れませんし シャッター切っても藪々画像ばかりで・・・
 
 
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 解りにくいですが、 堀内部の画像です。 堀の奥が主廓側で 土塁が巡らしてあるので向こう側を見上げる形になっています。  なお 平場には比高差はありません。
 
 
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 建物の礎石跡を現したものだと思いますが・・・特に何の解説もなかったので確証なしです。
奥の森は空堀跡です。 基本的には、芝生広場の間仕切りとして空堀跡は機能してます。
 
 
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いつの間にか公園の最南端に到着。 
舌状台地の舌先ですね、
 まだ続きがありそうなので
山道を下ります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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  堀底道の様な、腰廓の様な怪しい山道。 左手が尾根筋に当たります。 先端部の小廓の役割を果たしていたようです。
 
 
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振り返るとこの様な道。 只のハイキングコースとは思えず・・・
 
 
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公園に向かって引き返します。 
 正面階段を登ると 平場になっている公園南端部。 階段1段目の右側には尾根筋を断ち切る堀切が残ってました。
階段左手は公園西側の斜面にあたるのですが、 遥か先まで横堀状の遺構が伸びていました。
 この辺りが最も山城の遺構らしさを残して 個人的には一番のお気に入りポイントです。
 
 
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公園西側から 撮影した 先ほどの横堀の先の様子。 
 全く整備がなされていないので降りるのは諦めましたが 堀の他に小廓等 見事に残ってました。  
 
 
 先にも書きましたが 「大庭城址公園」 大庭城跡にありながらも積極的には史跡をアピールしてはいない印象でした。
 せめて縄張り図でもそこかしこに設置して貰えれば又城址公園としての個性が出ると思うのですが・・
 遺構としては公園整備を受けながらも良く残されてるだけに少し勿体ない気がしました。