ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

高月城 (東京都  八王子市)

  いつもながらですが大分御無沙汰の気まぐれ更新となります。
今回は正月休みを利用して見た高月城の記事です。 
 
 高月城は、 北条氏照の居城であった滝山城から2キロ程の距離にあり、 秋川に接した舌状台地先端に築かれた城になります。
 築城は、 武蔵国守護代大石氏の顕重によって15世紀後半と言われています。
 その後、 大石氏は滝山城を築き、 手狭な高月城から拠点を移す事になります。
  やがてその滝山城も大石氏自身も新興勢力の北条氏に呑み込まれてしまう訳ですが・・・・・所で今に残る遺構は、主に堀・堀切りと土塁などです、 が、 今回は結論から言いますと画像を見ても城郭遺構が良く解らないと思います。 藪と笹が繁茂し過ぎてカメラではどうも上手く掴めてません。
 
イメージ 1
 
                                              秋川を挟んでの高月城
 
 

 
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 残念な事に近辺には高月城を案内する標識は一切設置されてません。 
唯一にして最も解り易い目印は、城址の一角に建つと言われる 「ホテル高月城」 の案内看板。
 ホテルの案内に従い都道を折れ路地へ入ると、 やがて 堀底道の名残?らしき所へ至ります。
左手の雑木林が本郭方面の舌状台地になります。  
 
 
イメージ 7
 
  所で 格好の目印であった
  「ホテルニュー高月城」 はどうも
廃業したようです。 
 廃城に廃墟の組み合わせが
なんとも・・・
 奥の鳥居が気になりましたが・・
 私有地はパスします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 ホテルの対面に城への
登り口があります。
 切り通しと言いますか
堀底道然とした狭い道です。
  なだらかに登りです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 やがて堀切りが見えてきます。 斜面の勾配が緩くかなり風化してる様子です。
それでも深さは3メートル弱はありそうでした。
 
 
イメージ 10
斜面をつづら折りに道が続きます。 
 坂虎口なのか・・・後に造られたものなのか よく解りませんがグネグネと坂を登り上の廓を目指します。
 
 
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途中には井戸の跡? 
らしきものが・・
 湧水のようにも思えました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 道は続きますが明確に残る遺構はどうもなさそうでした。 
ひたすらジグザグに続く道です。 勾配も比高もそれ程でもありません。 
 
 
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つづら折りが終わる直前に土塁らしき遺構が現れました。
 実はここの虎口が高月城では、最も写真映りが良い遺構でした。
 
 
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 虎口の先は高月城唯一の広い廓なのですが・・・現状はごく普通の畑です。
広さは うーん・・・滝山城の本郭や中廓と同じ位 (例えが解りにくいですね) でしょうか。
 
 
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  耕作地は廓の中心部だけでして、 周辺は枯れ草が凄まじく荒れ放題。 
さびれた城址の雰囲気を演出してるようです。 
 当然 土塁の痕跡など全く解りません・・・と 言います近づけません。
 
 
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近づけないので 麓から撮影。 元々決して険しい地形ではないのですがこの面だけは断崖絶壁が続きます。
  背後が秋川になるので、川の流れに削られたんでしょう。
 
 
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 廓に土塁が巡らせてあったらしき痕跡も一部確認できます。  
 
 
イメージ 6
 これは登り口の反対側、舌状台地の根元と廓の境にある空堀らしき痕跡です。
堀端に立って遥か先の土塁を撮影した・・・つもりなのですが 笹に隠れて肝心の遺構が上手く映りません。。
 この周りには他に遺構があったのですが、 映るのは笹ばかり・・・使い物になりませんでした。
 ここは実際に行って見て下さいとしか言いようがないです。  
 
 
 公園として遺構をしっかり保存整備してる滝山城と比べると、 看板一つない高月城の扱いはいささか放置し過ぎの感じがありました。 この扱いの差は何? 
 戸吹城ですら? 案内があるのに、 高月城はラブホが目印・・・遺構の保護保全も全くされてる気配がありませんでした。 
 見て解るように、 多くは藪に隠れて写真ではなにやら良く解らない遺構ですが、 実際に見れば藪の奥に土塁が埋もれてたりします。