ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

龍岡城 (長野県 佐久市)

 
訪問 2014年 7月
 駐車場有
 現地縄張図有
 
 明けましておめでとうございます。
 本年も宜しくお願い致します。
 
さてさて挨拶もそこそこ早速に本年初のお城紹介と参ります。
 
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龍岡城 水堀
 今回は幕末期に築城された長野県にある龍岡城です。
 ここの特徴は縄張りが★マークの様な 五稜郭形式という点です。
 
 函館にある本家?「五稜郭」に比べて知名度こそ劣るものの 
我が国城址の中に於いてただ二つの貴重な洋式城郭である』※現地案内板より 
 とあるように、★形というその特徴的な外観を持つ龍岡城は、西欧にて発展した「星形要塞」を模した縄張りを持つ我が国では特異な城址になります。
 

 

 
 防禦側の死角を徹底的に排除する星型要塞のコンセプトは良いとしても、このような南北に山に挟まれた小平地に築いても、山からバンバン砲弾を撃ち降ろされたら落城しそうに思えて仕方がありません。
 北側の山にある田口城址を改修した方が、費用対策効果が高い気がしますが、 そういった意味では実戦を想定していない、実験的な築城ではないのかと想像しています。
 
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現地縄張り図を掲載。
 廓内部は現在小学校になっており、撮影は非常に気を遣います。
右上部分は水堀が無く(元の地形も段差があり低い)、5か所ある虎口前もがら空きで半月堡等を用いた縦深防禦までは考慮されてないよいうです。
 
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龍岡城北側に隣接した資料館。
 早朝過ぎて開いてませんでした。
 
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その脇に用意された 龍岡城五稜郭見学者専用駐車場。
 トイレ付で大変ありがたい設備。
 
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水堀の一端を撮影。
 幕末の築城だけあって、石垣はぴっちりしてます、上端部の武者返しももお台場と同じですね。
 でも やっぱり堀幅が狭いです。 梯子掛けたら渡れそうな幅。
 
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城内側から撮影。
 
 ここで 現地案内板から龍岡城の紹介を
龍岡五稜郭
信州に一万二千石、三河に四千石の封地を持つ三河奥殿藩の松平氏は、宝永以来160年間三河に本拠を持ち、佐久には陣屋を置いて、領内22ケ村の統治を続けてきたが、11代乗護になって、幕末激動の情勢に応じて信州に居館を移す事を計画し、元治元年(1864)3月着工、慶応3年(1867)竣工、地字名をとって龍岡城と称した。

用地一万余坪は田野口村より、石材木材等は領内より献納、総費用4万円余であった。藩主乗護は学才識見ともに優れ、幕府の陸軍奉行、老中格、陸軍総裁などの要職に就き、明治に入っては、佐野常民と共に、赤十字社の前身である博愛社を創設し、副社長、又賞勲局総裁などに歴任した。

築城にあたっては、稜堡式築城法を用い、いわゆる五稜郭が成立した。
そしてこれより4年前に完成いた函館五稜郭とともに、我が国城址の中に於いて只二つの洋式城郭である。
廃藩後明治5年、城は取り壊しとなったが、幸い濠と石塁、建物の一部大台所を残している。

以下略
 
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縄張り図右下の黒門付近と記憶。
石橋より右手には堀がありません。 
虎口奥は校庭。
 
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縄張り図右上 火薬庫付近。
 左奥が先程の石橋。 城外は手前に向かって下り坂。
 堀がないので石垣を間近で確認出来ます。
 
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外からちらちらと撮影の大台所。
 校内へは流石に遠慮しました。
 
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龍岡城西側にある虎口址。徒歩数分にあります。
 

 
龍岡城の評価は 3 とさせて下さい。
 流石に幕末期の築城だけあって保存状態は良好と言うべきでしょう。
 日本では大変珍しい稜堡式要塞として一見の価値はありますが、なにぶん函館五稜郭のミニミニ版というサイズがなんとも・・
 

蛇足
 
龍岡城北側、藩松院裏手の山には戦国期の田口城址があります。
 
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ネット情報等によると 入口は山の北側との事で寄ってみることに・・
 
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五稜郭展望台 という黄色い標識を目印に県道を右折。
 
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集落を抜け、右手の未舗装路を進みます。 展望台までこの先1,5キロと記載。
 
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200mほど進んだ所で轍が深くなり・・・ギブアップ!
 引き返そうにも途中 Uターンする場所もなく、結局バックで山道を分岐点まで戻る羽目に・・
 
四駆系の最低地上高のある車種なら問題ないと思いますが、判断基準として轍画像を載せます。
 まぁ諦めずに その内集落側から再訪問するつもりです。