ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

小山城 (榛原郡 吉田町)

小山城
 
訪問 2014年 1月
 
 いつもながら更新が滞ってましたが1か月振りの再始動です。
今回は本年初頭に訪問した静岡県の小山城になります。 いささか季節感がありませんがご容赦下さい。
 
イメージ 1
小山城 3重三日月堀
 
 いきなり見どころの画像ですが、小山城と言えばこの三日月堀。 これを見る為に静岡遠征したも同然です。
  武田流の丸馬出し前面に構築された3重にも及ぶ厳重な構えの空堀が小山城最大の見どころになると思います。
 
 
 

 

 場所はこの辺り・・・です。 インターからもほど近く、平野に突き出た小高い丘に聳える模擬天守は遠目にも良く目立つので(本当に目立ちます)まず迷う事はないでしょう。
 
イメージ 2
城南側に無料の駐車場が完備されてました。 大型観光バス用のスペースもあるので他の施設との兼用でしょうかね。
 
イメージ 3
駐車場の観光案内を撮影。 牧ノ原台地の先端部に位置する舌状台地を利用して城は築かれています。
 また大井川の渡河点などを踏まえた立地の様です。
 
「静岡の山城ベスト50を歩く」によると元亀2年(1571)駿河から遠江に侵攻した武田軍によって徳川方より奪取。
 その後現在に残る本格的な縄張りが構築されたようです。
 
 以降一貫して武田方の遠江侵攻の兵站を担っていた小山城ですが、高天神城の失陥以降極めて形勢不利となった武田勢の遠江からの撤退に伴い放棄され廃城とされたようです。 
 
 我ながら「ようです」が多い記述ですね、まぁ細かく歴史に残っていないので仕方がないでしょう と言う事で。
 
イメージ 4
現地に掲示された縄張り図? ですか。
 ちょっと解りにくいので解説します。 
 東に向かって延びた舌状台地を堀で区分けした縄張り構造を持っています。
 西側の台地続きに見どころの3重三日月堀を伴った空堀があり、その内側を堀で区切って1廓2廓としています。
 
3重三日月堀脇の(郷土資料館)辺りにも小廓が存在しています。
 2廓にも1重の丸馬出しがあります。
上図では模擬天守に小山城と記載してありますが・・・勿論違う訳でして、前線の戦術級城郭に装飾性を凝らした天守がある筈がなく、また天守閣が流行る時代の城郭でもないし・・
 
イメージ 5
台地上 1廓2廓を仕切る空堀の復元がなされていました。
 
イメージ 6
2廓内にある三日月堀の復元。 解説もあり解り易いですね。
 
イメージ 7
こちらが2廓に聳える模擬天守・・ 意外に(失礼)立派な造りですね。
 個人的には土の城に造るならばもっと別のデザインがあったのでは・・と思いますが。
 
イメージ 8
・・・お休みでした。 そりゃそうですね。
 
イメージ 9
廓外周部に復元されている土塁。
 1廓内側は通常の公園の整備。
 
イメージ 10
1廓先端より撮影。 この先は平野なので比高差は大してないにも関わらず眺望は抜群です。 
足元に流れる湯日川が河川による補給線を想像させます。
 
イメージ 11
こちらは2廓西側の空堀
 重機で掘り返して余った土を土塁にしたような大雑把な雰囲気を漂わせる復元空堀
 
イメージ 12
それでは3重三日月堀に移ります。
 赤いヒルには出会いませんでしたが温かい時期はヒルに用心した方がいいかもしれませんね。
 
イメージ 13
これがまた素晴らしい遺構でした。
 3重の堀が孤を描いて湾曲する様は一見の価値ありです。
 
イメージ 14
中に入って撮影。 左右見回しても全て堀という特異な空間。
 
イメージ 15
同じような画像ですが・・・
 3重堀に関しては復元・整備が加えられなかったのは幸いという他ありません。
 
イメージ 16
ちなみに3重堀の外側は一面の茶畑でした。
 
イメージ 17
3重堀外縁側にある「勘助井戸」 
 解説板には 「山本勘助の声がかかっていると伝えられている井戸です」 
とありますが何故城の外側の堀縁に井戸を掘る必要があるのか・・お声かかりもどうですかね?
 
イメージ 18
3重堀脇にある復元大手。
 
イメージ 19
北側から城のある舌状台地を撮影。
 比高差はそれ程でもないのですがかなりの急勾配です。
 兵站基地と推定されていますが、こんな急坂を米俵など持って上がるのは途方もない労力だったでしょうね。
 

小山城の評価は 3 とさせて下さい。
 
3重の三日月堀の規模は諏訪原城の巨大丸馬出にも匹敵する圧倒的スケールで一見の価値ありです。 
 元々の城域はコンパクトなので前面の馬出し特化した防禦姿勢は異様に感じますが小山城の特色として非常にインパクトがあります。
 ただ微妙な天守と復元された箇所の堀等はちょっとどうかな・・と思いますが。