今回は山頂部の廓群を紹介します。
山頂部の縄張り図に再び登場してもらいます。 図の上が南側になります。
中央部の堀切から飯縄廓方面に行きます。
飯縄廓内には飯縄神社があります。 小廓ですが周囲に腰廓を巡らしてあります。
廓内部の様子。 社と鳥居石碑でもう敷地いっぱいの広さ。
脇の廓から見上げた様子。
飯縄廓北側にある太鼓廓。 飯縄廓より一段低い位置にあります。 ここも狭い。
太鼓廓は飯縄廓に繋がる北側尾根を利用して造られている為、廓先端の先にも幾つかの腰廓が連続して存在しています。
飯縄廓東側一段下がった腰廓には宝ヶ池と呼ばれる井戸跡があります。
現役で水が湧いていました。
拙ブログでは幾度となくコメントしてますが、山頂近くで水が湧くのがいつ見ても不思議に思えます。
籠城兵全ての飲料を賄えるとは思えませんが水が湧くというだけでも安心感はかなりあったのではないでしょうかね。
宝ヶ池から更に東に進むと堀切を挟んで尾根道が続きます。
残念ながらここの堀切は遊歩道用に中央が埋められており土橋状になっています
尾根道が続きます。
尾根道を過ぎると眺望が開けます。 鷹射場と呼ばれる廓になります。
鷹射場から反転して本廓を目指します。
画像は本廓手前の堀切跡。
本廓内部には土塁が巡らしてありました。
土塁内側の様子。 本廓中心部になりますが、それでもかなり手狭な印象。
4月下旬にも関わらず本廓では桜が咲いてました。
麓の津久井湖が一望できました。 これはなかなかの絶景。
津久井城の評価は 4 とさせて下さい。
麓の居館部を含め整備の状況はかなり良いです。 案内板なども大変詳しく描かれており、特に資料を持ち合わせずに訪城しても特に支障もないと思われます。
気軽に訪城できる山城としては最適ですし、遺構もかなり残されていますのでお勧めできる城郭の一つと言えます。
それから縄張りに関して疑問に感じたのが、麓居館部の広大な敷地に比べての山頂部廓群の手狭さですね。
山頂部は通常詰めの城とか呼ばれて非常時籠城先と考えられますが、本当に麓に住む人数が入れたの?? という疑問が湧いてきます、山頂部の広さと言ったら比企郡の無名な山城の方がまだ広い位ですから。