島崎城
訪問 2021年1月
案内板 あり
駐車場 あり
茨城県は鹿行(ろっこう)地域のお城紹介、2城目と参ります。
冒頭から結論じみた事を書いてしまいますが、個人的に島崎城は県内でも有名な小幡城に匹敵する土の城の遺構と評価しています。
そんな訳でうんちくも多めで島崎城は全3回の予定です。
この島崎城を含む鹿行地域、
全国区の有名な武将が出るわけでもなく、小規模な国人領主がひしめいたまま戦国時代を終えているので歴史的には地味な地域(地元の方スイマセン)のため、城そのもの評価が低めに査定されているようにも感じます。
逆に誰でも知っている武将に関連する城郭は、城そのもの技巧性を無視してエピソードだけをもって過大評価される傾向も感じますが・・
島崎城 Ⅲ廓空堀
島崎城の場所はいつものようにグーグル先生にお任せ
ですが
島崎城の立地を考える上で、林城と同様にかつで存在した香取海の存歳は極めて重要かと思われ
FLOOD MAPS でまたしても香取海を再現しました。
とは言え半分嘘で、本佐倉城の記事で用いた地図の再利用です。
オレンジ丸が本佐倉城で、二つある赤丸の左側が島崎城・右側が前回紹介した林城の位置です。
今では内陸に位置する島崎城ですが、城が現役の頃は香取海に突き出した半島先端に築かれていたことが分かります。
水運に重きをなす水郷と呼んで差支えない光景が広がっていたでしょうね。
話、脱線しますが「江戸崎」や「竜ケ崎」などの地名は水没させると本当に岬(崎)になるのが面白い。
さて、そろそろ島崎城にお邪魔しましょう。
島崎城には広々した駐車場が完備されています。
周辺の道路には大きな案内板が建てられているので迷うことはないでしょう。
駐車場には「島崎城跡を守る会」が設置した案内図があります。
城の立地としては前回紹介した林城に似ており、低湿地に囲まれた舌状台地を利用して築城されています。
まっすぐピンと舌を伸ばす林城と違い、弧を描くと言いますかやや巻き舌気味にコの字の舌状台地の形状で、その舌の上に連廓的に幾つかの廓に区切った縄張りを持ちます。
舌状台地基部にあたる東Ⅱ廓の背後(八幡台)付近では、2重の空堀(堀切)によって唯一の地続き部と明確に遮断されています。
2重空堀より外部は広大なⅢ廓となりますが、前述のように城中枢部にあたる舌状台地部とは分離されており外廓のような役割が与えられていたように見受けられます。
Ⅲ廓と舌状台地部は分けて考えてもいいかもしれません(妄想ですが)
さて、案内図に今回分のルートを赤い線で加筆しました。
いつもながらの外側からじっくり見学するスタイルでまずはⅢ廓を目指します。
駐車場から登城口を見上げて撮影。
正面鳥居の先はⅠ廓にあたる「御札神社」(みふだじんじゃ)参道。
ですが、Ⅰ廓と呼称されるなら旧本廓ですよね
いきなりゴールに行くのはもったいないので当然迂回です。
舌状台地の縁に沿って進みます。
案内があちこちに建てられて分かりやすいですね。
少し進んで振り返って撮影。
舌状台地の縁と書きましたが、廓の切岸です、麓との比高は10メートルは超えますかね。
「コ」の字の内側に入ります。
なんかいっぱい行先が書いてあります。
新宿駅の乗り換え案内のような・・
さらに進むと
道路東側に方形の廓(縄張り図では腰廓と記載)、坂虎口正面奥の切岸上は東Ⅱ廓 が現れます。
坂虎口側から撮影。
このあたりは車道整備による後世の改変もありそうですね。
ピンぼけ写真しかないので小さめの画像にて
東Ⅱ廓直下の帯廓を伝って2重空堀に向かいます。
こちらが1本目の空堀。
画像右手の切岸直上が東Ⅱ廓の八幡台
思わず歓声を上げそうになるほどの空堀。
ほぼ垂直にそそり立つ切岸面。
堀の規模といい遮断線としては文句のつけようのないレベル、遠征した甲斐があったもの。
こちらは坊主屋敷方面から見上げた帯廓と空堀。
正面切岸面には階段がつけられてますが、後世の整備によって造られたようにも思えます。城本来の導線ではないかも
Ⅲ廓方向に進むとルートの分岐が現れます。
左手はⅢ廓へ至ります。
右手は下って大堀、つまり2本目の空堀です。
大堀方向を撮影。
見事なⅤ字型の薬研堀が堀底道として続いてます。
薬研堀の見本のようです。
こちらは次回紹介します。
Ⅲ廓内部の様子。鉄塔がランドマーク。
Ⅲ廓外辺縁には土塁を伴った空堀によって防衛線が構築されてます。
土塁線から下をのぞき込んで撮影。
島崎城の堀には共通する特徴が感じられます。
堀が垂直に近い角度で掘られて鋭い、しかも400年以上経過しても風化が進んでいるようにはあまり見えない。
故に見ごたえが凄まじい。
堀底に降りられるようです
島崎城2 に続きます。