中山城
訪問 2013年 8月
今更ですが更新頻度が極めて低い拙ブログ、それでも千葉県以外は一応関東一円を取り上げてはいるのですが・・久しくご無沙汰していたのが今回取り上げるこの上州方面。
拙ブログとしては、約3年振りの掲載になります群馬編の城郭は吾妻郡の中山城です。
中山城東側低地から望む中山城主廓部
向かいに電気屋さんがあった記憶があります。
中山城のアクセスは極めて容易でした。
国道145号沼田街道沿いに
立地してます。
城脇にはおあつらえ向きに路肩が非常に広くなっており駐車には支障はなさそうです。
国道右側は中山城捨廓
この看板の前に停めました・・・これは上毛カルタ? と思って撮影したのですが 違ってました。 なんでしょうか?
脇にあった現地縄張り図を転載します。
「関東の名城を歩く北関東編」
によると築城は小田原の後北条氏。
築城年は1582年12月頃との事。
築城の経緯は、同年本能寺の変以降周辺大名の草刈り場と化した織田の旧武田領の内、上州方面で沼田・岩櫃両城を結ぶラインを中心に勢力を張り、後北条氏と対立関係にある真田氏の連絡線を遮断する「楔」として中山城は築かれたとあります。
廃城は1590年とありますが詳しくは分からないようです。
いずれにしても、極短期間の間だけ使われた前線の戦術急城郭の一つと言えるでしょう。
築城年数どころか築城者も不明な中世城郭が多くを占めるなか、これだけはっきりと築城目的が明確な城郭も珍しいと個人的には思います。
蛇足ですが城郭遺構から数百メートル東にある県道36号線と沼田街道との交差点付近には三国街道の碑がありました。
当時中山城は街道の結節点を抑える絶妙な立地にあったのではないでしょうか。
では早速お城を探検します。
中山城は南に向かって伸びる舌状台地を利用して築かれています。
城の両側は低地で現在は田んぼになっていますが、まっ平らではなく、北に向かって極めて緩い登り勾配があり、城の北端部では舌状台地との高低差はなくなってしまいます。
駐車場から一番近い、3廓と捨廓の堀切を目指して登ります。
堀切跡は現在農道になっています。
この写真を撮った直後にトラクターが前から来て大変でした。 とにかく脇に避けるスペースがないもので・・
堀切から3廓内にお邪魔してます。 実に広大な廓です。
平坦な畑地となっております。 捨廓は農道もなく完全に雑木林で入れませんでした。
3廓を北上し続けるとやがて雑木林になります。
右手が2廓なのですが
樹木が激しすぎて全く
様子が分りません。
又 編集画面がおかしくなって これ以上掲載出来なくなりました。
一体どうなっているのかヤフー 無料だから文句は言いませんよ・・ええ(怒)
と言う訳で、この続きは次回編集画面の機嫌が回復してから掲載します。