再び登場して貰います 縄張り図
今回は3の丸の馬出→2の丸馬出し→2の丸→本丸
の順番で進みます。
3の丸と 詩碑と書かれた馬出しとを分かつ空堀です。
幅はともかく大半が埋もれているようで、深さは1m弱。
3の丸へ続く土橋を撮影。
右端にあるのは廓内の田んぼ用の用水路。 用水路も土橋を渡り、水は本廓に向かって流れています。
馬出しにあった詩碑
すいません 詩は解りません。
碑の先は天然の断崖です
再び3の丸の様子
廓平たん部は基本的に全て田んぼです。 田んぼ脇の植林地の中に空堀が隠れていますが・・樹木と藪が余りにも激しく堀底すら見られない状況。
3の丸から土橋を渡り 2の丸馬出しに向かいます。
馬出しは畑になっています。
馬出しから抜川方面を撮影。
この先は崖状の地形になっています。
2の丸に入ると用水路と散策路が分れます。
正面標柱のある場所は2の丸土塁跡。
左手に折れて少し進むと現れる二鶴様式の堀跡・・の案内。
標識の奥は2・3廓の空堀なのですが、二鶴の説明がなく良く解りません。
通常堀端にある土塁が数十メートル程セットバックした位置にあったので、ひょっとしたらそれの事でしょうか。
森の中を進む内にちらりと見えた 馬伏川。
左手の橋は1で掲載した橋になります。
河川までの標高差はかなりあります。
2の丸に到着。 ここも一面の田んぼ。
廓端から本丸馬出しへ続く土橋が延びていました。
用水路も土橋を渡っていますね。
土橋から空堀を撮影。 堀の凄まじい規模はあまり伝わらないと思いますが・・
土橋の様子。 奥の本丸に進みます。
本丸も一面の田んぼでした。
撮影地点は本丸先端部になり、田んぼから分かるように若干の勾配があります。
本丸 城櫓地点より馬伏川方面を撮影。
深沢城の評価は 4 とさせて下さい。
土塁が余り見られなかったのは廃城後の耕作地化が原因と思いますが、それ以外の遺構は良く残されています。
遺構の規模・馬出し等の技巧的な縄張りも堪能出来ますが、堀底の藪が激しく堀だけは、藪の隙間から覗き込むだけという物足りなさを感じる点もありました。
個人的には、富士山がよーく眺められる点も好評価かと・・