青鳥城
訪問 2013年 10月
栃木県の城郭紹介を一回お休みしまして、近場の城郭巡りの模様を紹介します。
アクセスには極めて好立地な条件ながら、保存状態があまり宜しくないという情報の為、目の前をいつも素通りして他の城郭を訪れていました が、
今回は、その辺りも含めて確認してこようと・・訪城。
ちなみにここ、青い鳥と書いて オオトリ と読むそうです。訪城まではブルーバードの方かと思っていました・・・
本廓土塁上の祠
254バイパスからも本廓土塁が見えたりします。
インター脇とあって、関越道が城域を通過したり、ヨーロッパ風の城郭デザインを模したホテルが幾つか建っていたりと周囲は落ち着かない雰囲気を醸し出しています。
現地縄張り図を掲載します。
赤丸の所にこの案内板があります。
車を停める適当な所が見当たらなく、今回はこの案内板の前に停めさせてもらいました。
縮尺から分かるように、本廓こそコンパクトではありますが、2廓プラス3廓を含めた城域は大変広大です。
少数で防禦する城郭というよりも、広大な駐屯地としての縄張りに感じました。
案内板付近の様子。 案内板が凹んでいるのは青鳥城の扱いを象徴しているのか・・
奥にあるのはホテルでその裏手に2廓空堀があります。
2廓内部は 畑と民家が点在し、城郭らしさは残されていません。
青鳥城の築城の経緯、廃城の時期に関しては不明な点が多いようでして、
廃城時期に関しては、 現地案内板では、1590年に前田利家の軍によって攻め落とされた とありますが、 wikipediaでは、1590年に前田利家が松山城を攻める際に、既に廃城となっていた青鳥城を利用したとあります。
凡そ700×400mの巨大城郭にも関わらず、青鳥城の歴史は殆ど明らかになっていないようです。
車道から撮影した本廓土塁。
本廓内部に入りたかったのですが、手前は畑と民家があり、遂に入口を発見できずじまい。
民家の屋根と比べても土塁の高さが分かると思いますが、築城に際してはかなりの土木量が投入されているのが分ります。
本廓に入れないので
場所を移動しました。
縄張り図左下
丁度2廓端部にあたります。
ホテルが並んでいたり
養豚場?があったりと・・・中世城郭らしさは微塵も感じられませんが
実は藪の奥に 空堀が隠れていました。
相当な規模の空堀と思われましたが、竹藪で全く見えません・・・
2廓左手に沿って歩く内に 3廓内部を散策する形になっていました。
台地上を利用しただけあって極めて平坦な地形。
縄張り図 市指定板碑脇の虎口跡 右手には石塔婆があります。
この辺りは土塁と空堀がしっかり残されていて見どころの一つかと・・・只し
隣接する養豚場から特有の匂いが漂ってきます・・・
土塁の先には見事な空堀が・・藪々放題なのが残念です。
こちらは 関越道をくぐった先にある3廓水堀跡とされるため池。
のんびりできそうです
池の畔にある 「虎御石」とらごいし と呼ばれる板石塔婆
応安2年(1369年)建立 高さは3,75mで入間・比企郡方面では最大の大きさを誇るそうです。
虎御石近くにあった怪しい地形。
3廓土塁かと推測し撮影。
青鳥城の 評価は 2,5 とさせて下さい。
城域こそ広大ですが現在の青鳥城は、私有地が多く余り自由に見て回れる城郭ではありませんでした。
他の比企の城郭群と同じように整備されていたらきっと素晴らしい遺構が堪能できたかと思います。