西方城
訪問 2013年 5月
またしても更新が延び延びになってしまいました・・・再び 栃木のお城の紹介に戻ります。
10月に紹介しました皆川氏の皆川城を堪能した後、車で移動して訪れたのが今回の西方城です。
車で30分位だったか・・? 皆川氏と西方氏は敵対関係であった時期もあるとの事ですが・・車で移動するとあっと言う間で少し驚きました。
西方城 「ながめの良い所」 より撮影
紹介画像と共に書きますが、この西方城 縄張りがなかなか凝っておりまして規模も雄大、宇都宮氏の分家でこれだけの城を構えるとは、あまりパッとした印象のない宇都宮氏ですが(スイマセン個人の感想ですので・・) 皆川城も同じく築城に関しては侮れない印象を持ちました。
そんな訳でして、今回は2回に分けて紹介したいと思います。
西方城間際を東北道が縦貫しています。
城へのアプローチは東側の集落にとにかく行けば分ります。 あちこちに「西方城→」 の看板があるので、矢印に従い東北道の下をくぐり抜けると長徳寺にぶつかります。
お寺の手前には訪城者用の無料駐車場が備えられているので大変便利になっておりました。
駐車場脇から東北道方面を撮影
GWにも関わらず車は私のを含め2台だけ・・
長徳寺境内にあった縄張り図を掲載。
麓の境内から城までは山道を15~20分程登ります。
今回の訪城ルート。 右下からオレンジの線を辿りましたので 順をおって紹介します。
墓地を抜けお寺の真裏にある石段を登ります。
段々に地形が為らされており城郭遺構を想像させます。
石段の上の地形
縄張り図には記載されてませんが、正面の御堂は土塁状の地形の上にあります。
御堂から先ほどの撮影地点を撮影。 右上が麓の長徳寺。
御堂の裏に廻ると竪堀が山頂の城に向かって続きているのが確認出来ました。
竪堀左側が 長徳寺左手から西方城へ伸びる登山道。
先ほどの石段一旦降り、長徳寺左手にあった西方城への登山道入口を撮影。
ここを登る前に左側の谷筋が気になり入ってみる事に。
とにかく寄り道すると何かがありそうな予感。
やがて谷地を塞ぐ様な土塁と虎口状遺構が現れました。
ただ、城郭の遺構なのか
休耕田の法面遺構なのか
判断に悩む微妙な造作。
どんどん進みます。
が この先は道が怪しくなり、やがて行き止まりに。
荒れ放題の薄暗い竹林の中に突如廃墟があったりと、かなり怪しい雰囲気を漂わせていました。
寄り道はこの位にして、先ほどの西方城への登山道を登ることにしました。
尾根筋らしきこの道沿いの竹林は整備が行き届き、途中のにある城郭遺構が明瞭に確認出来ます。
この様な削平地が幾重にも展開しています。
段々に削平されているのが分ると思います。
竹林を過ぎると暫くは
この様な自然地形の山道になります。
・・・が よーく法面を観察すると人為的な
削平地が点在しているのが 確認出来ました。
道が右に折れる地点に
至りました。
ここが縄張り図赤線で記されている登山道が城郭遺構に到達する地点です。
西方城→ とあり堀底道になるのですが・・・
左奥にも道があるので
そちらに寄り道。
左奥に進むとすぐに道は深い藪で途切れますが、手前に井戸跡らしき窪地を確認出来ます。
窪地周囲には井戸を補強した時に用いられたと思われる石がありました。
ブログ編集画面に不具合が生じ、これ以上書けなくなりました。
一旦 ここでアップしますので続きは次回以降に掲載します。