ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

諏訪原城 (静岡県 島田市) 2

諏訪原城の後編に参ります。
 
 
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 前回とは別の縄張り図を掲載します。
設置場所は 現地馬出し内にある諏訪神社の脇です。
 古ぼけてますが 堀に番号を振ってあるこちらの縄張り図の方が解り易いかも。
 
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2郭から 本丸を囲む6号堀に降りてみます。
 
元々の谷底地形なのか
 ここの空堀は特に巨大
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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堀底には カンカン井戸を呼ばれる井戸がありました。
 
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残念ながら水は枯れてしまっているようですが、
 井戸面の石積みは綺麗に残されています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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井戸跡から水の手郭まで行けるようです。谷底の様な地形を降りて行きますと
 
イメージ 13麓の集落用の水道施設がありました。
 湧水は今でもあるようですが・・ジメジメが酷く 藪蚊だらけの谷底でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 戻ろうと振り返ると、 左斜めに上に山道を見つけたので 登って見ることに・・・
竹藪の先に明るい日差しが射しています。
 
 
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日差しの地点まで登り 振り返って撮影
 右手の土手は 土塁でした。 画像左手は空堀になっています。
 位置は冒頭の縄張り図8号堀の右手辺り。
 
 
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城の脇から 段丘斜面を
 登る道のようです
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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登り切った所です。
 一面の茶畑が広がります。
 右手小屋の先に旧東海道の県道が横切ってます。
 
位置は14号堀と呼ばれる
 丸馬出しの脇にあたります
 
城内と経ずに坂の上下を往来できる抜け道として当時使われたのかと 勝手に想像してみました。
 
 
 
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こちらは 一転して 本丸の様子です。
 左手の土の盛り上がりは 周囲の土塁跡と思われます。
 
 
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抜群の本丸からの眺め。 大井川もはっきり見えます。
 
 
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本丸内には 石積みの遺構と思しき石列が残されていました。
 
 
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本丸内で 一段高く整地された空間を天主台地との案内をしておりました。
 天守閣? なかった筈ですから・・・下の解説にも 2階建ての矢倉あったのであろうと 書いてあるので、誤解を招く天守・天主の表現は いかがなものかと・・
 
 
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本丸から 搦め手側に下る道が伸びています。
 道は蛇行しながら本来の段丘面に土を盛って土橋とし、その脇に並行して空堀が伸びているようでした。
 
 
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途中まで降りて 見上げると ・・これがまた結構な急こう配でして
 
 
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坂を下った所にある 恐らく10号堀 
 崖端にも関わらず この搦め手側にも防禦を施す周到さには関心するばかりでした。
 左手の木立の隙間から県道が見え隠れしています。
 

 
諏訪原城の 評価は 5 とさせて下さい。
 
巨大馬出しや台地を巡る空堀は他の城郭遺構を圧倒する規模でした。
 人力でこれだけの土木工事を行うには 一体どれだけの延べ人数を投入したのか・・武田の本気度が伝わってきそうです。
 一方で、城の脇にある馬出しは、突貫で掘ったと思えるほどの極小規模に過ぎず、この差はどこから生じたのかが非常に気になりました。