ちょっと山城に (正規運用版)

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興国寺城 (静岡県 沼津市)

興国寺城
 
訪問 2013年 5月
 
 
相変わらず溜まった過去記録のアップが続きますが、 やっと今年のGWの訪城記録まで漕ぎ着けました。
 この時 静岡まで遠出したのは 諏訪原城の巨大丸馬出しを堪能するのが目的でしたが、 帰路に少し時間にゆとりがあったので立ち寄ったのが今回の興国寺城です。
 
興国寺城は、 小田原北条氏の初代 「伊勢宗瑞」 が甥っ子の今川氏親家督擁立に尽力した功により初めて構えた城、として知られています。
 
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興国寺城本丸土塁からの眺め
 
 

 
興国寺城の概要です。 現地案内板より抜粋
国指定史跡 興国寺城跡
 
 興国寺城跡は 愛鷹山の山裾が浮島沼に向かって張り出した低い尾根上に立地しており、 山の根を通る根方道と浮島沼を縦断して千里浜へ至る江道・竹田道との分岐点に当り、 かつては伊豆・甲斐を結ぶ交通の要衝であった。
   -中略-
  浮島沼と谷戸に三方をか囲まれ、 深田足入と呼ばれる天然の泥田堀に守られていた。
 古城は土塁と空堀によって区切られた本丸、二ノ丸、三ノ丸の3曲輪からなる主郭部と、 大堀切の北側に付属する外曲輪によって構成されている。
 
 本丸北側土塁は一段高く築かれ、 中央部の南面には石垣が積まれ、 上面には天守台と呼ばれる平坦部になっている。
 -中略-
 本丸は四方を土塁によって囲まれ、 南は空堀で区切られていた。
 現在 南側土塁は崩され、 空堀も埋められているが ほぼ旧状を認める事ができる。
 -中略-
二ノ丸は土塁が殆ど崩されており三ノ丸との境界がはっきりしないが、 かつては土塁によって囲まれ、 空堀によって区切られていた。
 南側土塁中央に入口があり、 升型が設けられていた。
 
 三ノ丸は県道が横断し、 宅地となっているが、 南・東の土塁は部分的に残され、 ほぼその範囲を知ることが出来る。
  -以下略-
  2郭・3郭は土塁が消滅して一見すると芝生広場の様になってます。
 
 

 

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  県道沿いに掲げられていた整備計画の完成予想図です。
 失われた土塁と2方の湿地帯を復元するようですね。
 
 
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3郭を県道が横断するだけはあって訪城は比較的簡単です。
 丁字路に先ほどの完成予想図があるので 
 その東側のバス停脇から路地に入ります。
 
 
 
 
 
 
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道なりに進むと 立ち入り禁止の看板がありますが、 この先に駐車場があるので
 進んで問題はないと思います。
 既に この辺りが2郭になります。 その先は本郭になるのですが 土塁が失われている為、 境界が不明瞭になっています。
 奥に見える巨大土塁は 本郭北側の天守台を設けてある土塁です。
 
 
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突きあたりの土塁を見上げて撮影。
 右下の神社脇のトイレと比較しても巨大さが伝わるかと思います。
 蛇足ですが トイレ凄い綺麗に管理されていました。 
 
 
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本郭跡にある 「穂見神社」
 興国寺城に関する案内はここにあります。
 
 
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 歴代城主の年表がありましたので掲載。
 こう見ると目まぐるしく主が変わってますね。
 
 
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 光って解りにくいですが、航空写真の掲示があったので掲載します
 
 
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早速土塁に登ってみます。
 
 
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同じ位置から2郭方面を撮影
 西側土塁はよく残されています。 
 興国寺城の土塁は 分厚くて高くて とにかくスケールが大きいのが印象的でした。
 
 
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土塁上にある天守台と呼ばれる跡
 いわゆる天守閣ではなくとも、礎石が残されていたので恒常的な矢倉のような建築物があったのでしょう。
 
 
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土塁面には 石垣が残されていましたが・・草で覆われて良く見えません。
 石垣・矢倉は徳川時代の頃なんでしょうか。
 
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本丸北側の空堀に降りてみました。
 この空堀の深さは圧巻の一言。
尾根続きの本丸北側は 本丸より標高が高い為、このような大規模な空堀と土塁が必要だったのでしょう。
 左手の膨らみは天守台跡です。
 
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しばらく堀底を散策すると なにやら法面に穴が・・
 
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5か所ばかりあったと記憶してます。
 気になって後で色々調べましたが結局解らないまま。
 
発掘調査の跡でしょうか?
 前かがみになれば中に人が入れる大きさなんです。
 
 
 
 
 
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 西側の一部では岩盤をくり抜いた堀切りになっていました。 これは労力掛けてますね。
 
 
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更に西へ西へ進むと
 かつては深田足入と呼ばれた 湿地帯に降りられました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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降りた先は 宅地と更地の混じる地形になっていました。
 更地が多いのは今後の整備計画の為でしょうか。
 
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出て来た堀切りを撮影
 
 ここからでも・・・城に入れます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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かつての湿地の名残か、更地の一部に湧水が残っていました。
 一見すると大きな水溜りにしか思えないのですが、実際には水草が茂り水深もそれなりにあるようでした。
 
 
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 此方は本丸北側の 北郭と呼ばれる場所です。
 整備もされず 明瞭に解る遺構もありませんでした。
 奥の森は本郭です、手前に先ほどの空堀があります。
 
 
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 北郭側からみた本郭土塁上の天守台跡
 ここから見る天守台はそれ程高くありません。
 
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北郭脇をかすめる
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 興国寺城の 評価は 3,5 とさせて下さい
 
 2郭・3郭の土塁が失われて、県道から本郭最奥まで見渡せてしまう点が惜しい所です。 
 その為 当時の様子をイメージしにくくなっています。 今後の沼津市の整備計画によっては劇的に変わるかもしれませんが・・
 それを差し引いても現存する土塁・空堀のスケールの大きさは圧倒的でした。