ちょっと山城に (正規運用版)

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勝沼氏館 (山梨県 甲州市)

勝沼氏館
 
 訪城 2012年 8月
 
昨年8月、珍らしく ぽっ と急に休みがとれた事がありまして、思いつきで甲信地方の城を駆け足で巡ってきました。
 写真はデジカメの中に入れたままにしてあったのですが、ここらでアップします。
 
 時期は丁度お盆の最中であったので、大嫌いな渋滞を避ける為 中央道は使わずに青梅街道をひたすら走り走り、奥多摩湖を過ぎ丹波山村を抜け塩山へ。
 さて要害山城でも・・・ いやいや夏の盛りに山城巡りは体力との勝負・・・無理無理  そこで ふと思い出したのがここ 勝沼氏館。
 
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                                勝山氏館 東門 復元木橋
 
 この様に 居館跡が復元整備されております。
 場所は 下の地図の辺りです。
 
 

 
 南側を日川の断崖を背に、 立地的には笹子峠から甲府盆地へ抜ける甲州街道に睨みをきかせる位置にあります。
 
 
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 県道沿いに このような案内がでております。 無人の小屋の奥が勝沼氏館ですが
 この付近も外郭であったようです。
 
 
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 現地案内板です。 
 先程の入口画像は右下 「文化材愛護シンボルマーク」 付近から上に向かって撮影。
 図で言う右側が削られているのは、横を走る県道の為なんでしょうか。
 
 
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 早速 空堀を越えて 廓内にお邪魔する事にします。
  堀は、勾配こそ緩やかになっていましたが、かなり大規模な空堀なのですが・・画像にすると夏の日差しを受けて立派に育ったつる植物ばかりが目立ってしまいます。
 
 
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 堀には ややくたびれた木橋が渡してあります。 当時もこんな橋が架けられていたんでしょうか。
 
 
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廓内部は 当時の建築物の礎石跡を表示してあります。
 ※職業柄、石のピッチ(間隔)が奇妙に感じました。 測った訳ではないのではっきり言えませんが今の尺貫法より狭い気が・・・これは団地サイズ?・・ 逆に八王子城御主殿は今より幾分広かったです。
 
 
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 建物配置がここまで判明しているようです。
 
 順序があべこべですが ここ勝沼氏館の主である勝沼氏の解説を
 
勝沼氏は、武田信虎の同母弟、次郎五郎信友によって興された武田親族衆の一員であり、信虎が戦国大名として台頭しようと苛烈な戦いに明け暮れていた時期に、最も信頼していた家臣でもあります。

 その為、郡内(山梨県の内笹子峠以東)小山田氏の目付として、武相口の護りとして適地である勝沼の地に館を構えたと思われます。
 
 天文4年(1535年)に信友が戦死し(北条氏綱軍と都留郡にて合戦討死) その名称を継いだ嫡子信元も信玄の有力な親族衆として、また家臣として常に重要な軍事力の一端を担ってきましたが、永禄3年(1560年)に、逆心の企てが露見し、信玄によって処断されたといわれています。  
                                    現地案内板より
 
 
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 館の移り変わりも解説してありました。 
 主が滅ん後 館も打ち捨てられていたんでしょうか。 
 ここは隣のワインセンター建設に伴って発見されたとも説明がなされていました。
 
 
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 会所跡です。 一棟一棟はそれ程の大きさではないようです
 
 
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こちらは 雪隠の跡 
 トイレの跡って城址であまり明記されてませんので これは珍しいと撮影。
 ちょっと疑問に思ったのですが汚い話で恐縮です、 籠城の際のトイレってどうしてたんでしょうか?
 
 
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 廓内から周囲の土塁を撮影。
 高さは2メートル程度でしょうか。 塁線に折れは見られませんが綺麗に残されています。
 
 
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廓内を流れる水路。 水量はたっぷりありました。 
 
 
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築地塀の跡でしょうか。 廓内部の間仕切りの跡のようです。
 
 
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こちらは 東門側の復元木橋です。  
 風雨にさらされていい味を出してます。   でも・・・歩くと少しふわふわする所もあったりします。  動線の折れも必見。
 
 
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橋から見た 土塁と空堀の様子。
 
 
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空堀沿いに歩いて 木橋方面を撮影。 
 館と名乗ってますが、実に見事な空堀
 左手がワインセンター方面。 こっちにも遺構があったらしいのですが・・・
 
 
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一転して 県道を歩き館南側を確認します
 
 
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左手の歩行者専用橋を渡り 振り返って撮影。
 川底が遥か下に見えます。  
 
 
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左手が 勝沼氏館。
 天然の水堀ですね、 川岸は絶壁ですしここから攻め寄せるのは大変困難でしょう。
 
 
 毎度 おこがましい総評ですが・・
 礎石の表示や、木橋の架設など 当時の様子を正確に伝える姿勢に好感が持てました。
 夏の盛りにも関わらず 内部を散策出来るのは恐らく定期的な除草作業もされていると思います。
  という事で お薦め度は 4 です。