ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

牛久城 (茨城県 牛久市)

 気が付けば ほぼ2カ月ぶりの更新です・・・例によっての気まぐれブログですが 年度末はブログに割く時間のゆとりがないのが実情です・・・でもこれ以上延ばすと忘れてしまいそうなのでここでアップします。
 
 前回の木原城で一回りするのに予想以上に時間がかかり、「牛久城」へは 裏道を駆使?し何とか到着したものの、 既に辺りは薄暗くなりつつある頃でした。
 車で30分位なんですが、冬の日暮れは一気に進みますね。
 
 
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                                                廓内より牛久沼方面を撮影
 
 下の地図から解る様に、低湿地やその先の牛久沼に臨む複雑な形をした台地を利用して築かれています。
 前回の木原城と立地条件は同じですね。 国道からも見られます。
 
 

 
 現地案内板の解説を抜粋
牛久城は岡見氏によって天文年間(1550年頃)に築かれた。
 本丸がある城山には石垣や天守閣を持たない典型的な戦国期東国の特徴を残している。
ここは、 後北条氏常陸の佐竹氏との境目にあたり、 三方を沼に囲まれた平山に北条流の築城技術を取り入れて造られた極めて頑強な城となっている。
 
 下妻の多賀谷氏によって岡見氏の支城である谷田部城と足高城は落城したが、 牛久城は同盟する布川城の豊島氏、小金城の高木氏等の援軍を受けて守り切った。
 牛久城は、天正18年(1590年)に豊臣秀吉軍の東国攻めにより開城した。
 その後、 由良国繁を城主としたが1623年に牛久城は廃城となった。
 「関東の名城を歩く北関東編」 によりますと、 1587年頃から上記領主達による輪番制の牛久城
援軍体制がなされ、 多賀谷氏から圧迫を受けつつあった後北条氏常陸方面前線拠点である 「牛久城」 を守り切ったそうです。
 
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 中央の木戸口の辺りから台地先端側 (図右側) が城址として保存がなされています。
当時の牛久城は、 根元の集落や周辺台地上も城域として取り込まれていたようです。
 上の縄張り図がある3の丸が更地になっており、付近に車を停めるスペースがあります。
 
 
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 早速木戸口から登城します。 牛久城の中核部であったろう本丸・2の丸へは、 堀切り状に舌状台地を切り割く空堀にかかるこの土橋から進みます。
 ここから先は木が生い茂ってます。
 
 
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空堀を挟んだ帯廓を進みと、2の丸に続く土橋が現れます。 この辺り遺構は土橋も堀の深さもはっきり残されており大変見ごたえあります。
 徳に堀の深さは特筆ものです。
 
 
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土橋も 土塁も 当時のまま? でしょうか
 規模は大きいが本郭までどことなく「大雑把」な印象であった木原城より、縄張りの面白味は牛久城が勝るかも知れません(私見ですが)
 
 
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土橋を渡ると そこは縄張り図「帯廓」ですが すぐ左手に「2郭」への虎口があります。
 
 
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虎口を登り 2郭内部を撮影  広さは木原城程ではないにしても そこそこ。
様々な方の記事を見ると 以前は竹が密生していたようですね。 
 
 
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4方には土塁が巡らしてあります。 場所にもよりますが この画像の辺りは2メートル以上はありました。
 大変立派なもんですが 高さがマチマチだったりします。
 
 
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 帯廓を、2の丸の土塁に沿って本丸方面に進みます。 ここは2の丸より一段低くなっています。 
帯と呼ばれてますがかなりの広さがあったりします。
 
 
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2の丸 本丸を 分ける
 空堀を帯廓から撮影。
 
折角の見事な遺構なのですが やや荒れた竹林の為 
 入るのは困難です。
 写真も解りずらいですし。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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本丸 脇の空堀の様子です。 堀の深さ土塁の角度共に やや甘い印象。
 
 
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暫く堀に沿って進むと 本丸へ至る土橋が現れます。 
 
 
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ここの土橋も綺麗に残ってます、整備されてこうなっているのでしょうか。 
 牛久城の土橋は何故か良く残ってます。
 
 
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本丸内部の様子です。
 2の丸より現状はやや狭く 土塁の痕跡も不明瞭でした。 
 本丸は後年、 先端部が削られて狭くなっているそうです。
 
夕闇せまる時刻での訪城の為、 今回は整備された牛久城の中核部をさらりと見ただけの訪城となってます。 
 比較的交通の便の良い位置にあるので いつか再訪してじっくりと見事な堀を観察したいと思える城郭でした。